2025年9月。福島県会津若松市の飯盛山に建つ「会津さざえ堂」を訪れました。
以前から気になっていたのが、上りと下りが交わらず、参拝者同士がすれ違うことなく進めるという二重らせん構造です。
実際に中へ入ると、階段ではなく木の桟が並ぶスロープ状の通路が続き、ぐるぐると上った先では別の通路から下って出口へ。
最上部では、天井や梁を埋めるように貼られた千社札にも驚きました。
この記事では、会津さざえ堂の仕組みや内部を実際に歩いた様子とともに、183段の石段や白虎隊十九士の墓、自刃の地、戸ノ口堰洞穴など飯盛山を歩いたときの様子も紹介します。
会津若松駅からバスで飯盛山へ
東京から東北新幹線で郡山駅へ向かい、磐越西線に乗り換えて会津若松駅へ。
今回の目的地は、飯盛山に建つ会津さざえ堂です。
独特な形をした建物で、内部は上りと下りが交わらない不思議な構造になっていると知り、以前から「実際に中を歩いてみたい」と思っていました。
日帰りで訪れる機会を見つけ、ようやく行けると楽しみにしていた場所です。
会津若松駅からまちなか周遊バスに乗り、「飯盛山下」で下車しました。
飯盛山の183段の石段を上る
飯盛山に着いて最初に目に入ったのが、山の上へまっすぐ続く長い石段でした。
正面参道の石段は183段あります。
隣には有料の「飯盛山スロープコンベア」もありましたが、私は石段を歩いて上ることにしました。
下から見上げると、思わず「おお〜」となるような階段です。
一段ずつ上っていき、上までたどり着いたころには少し息を切らしていました。
途中で振り返ると、眼下には会津若松の街並みが広がっていました。
上ってきた石段とスロープコンベアも見え、思った以上に高いところまで上ってきたことがわかります。
飯盛山に建つ会津さざえ堂へ
石段を上り、楽しみにしていた会津さざえ堂へ向かいます。
会津さざえ堂は、寛政8年(1796年)に建立された高さ16.5メートル、六角三層のお堂です。
正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。
当時、飯盛山にあった正宗寺の住職・郁堂(いくどう)が考案した建物で、かつては内部のらせん状の通路に沿って西国三十三観音像が安置されていました。
お堂の中を巡ることで三十三観音参りができるようになっていたと知ると、この変わった構造が単に珍しい形を目指して造られたものではなかったことがわかります。
平成8年(1996年)には国の重要文化財に指定されました。重要文化財としての名称は「旧正宗寺三匝堂」です。
正面から見ると唐破風のあるお堂ですが、横へ回って眺めると印象が変わります。
屋根が重なるように上へ伸びた独特の姿をしていて、巻貝のサザエを思わせる外観です。
会津さざえ堂の二重らせん構造を実際に歩く
いよいよ、楽しみにしていたさざえ堂の中へ入ります。
中へ入ると、一般的なお堂にあるような階段ではなく、木の桟が並んだスロープ状の通路が続いていました。
この通路をぐるぐると上っていきます。
会津さざえ堂の大きな特徴が、上りと下りが別々になった二重らせん構造です。
入口から上っていく通路と、頂上から出口へ向かって下る通路が分かれているため、同じところを引き返しません。
参拝者同士がすれ違うことなく堂内を巡れる、一方通行の造りになっています。
現地の案内板では「世界唯一の木造二重螺旋建築」「一度通ったところは二度と通らない」と紹介されていました。
実際に中を歩いているときは、木の通路をぐるぐると上っていくことに夢中でした。
帰宅後にあらためて当時の写真を見返してみると、建物の中央部分には別の通路が通っている様子も写っていました。
二重らせんという独特な構造を、写真からも見ることができます。
最上部では天井を埋める千社札に驚く
木の通路を上っていくと、やがて建物の最上部へたどり着きます。
ここで目を引いたのが、天井や梁にびっしりと貼られた千社札でした。
あまりの数に思わず見上げ、全体だけでなく天井のアップも撮影しました。
長い年月を経た木の内部を、無数の札が埋め尽くしている光景は圧巻でした。
頂上を越えると別の通路から下りへ
最上部を過ぎると、そのまま上ってきた道を戻るのではなく、今度は別の通路から下っていきます。
ここで「上りと下りが交わらない」という二重らせんの仕組みが、さらにわかりやすくなりました。
通路には木の桟が付いていますが、私は滑りやすそうに感じ、特に下りは慎重に歩きました。
高齢の方がそろりそろりと下っている姿も見かけました。
階段を上って下りるのとは違い、建物の中をぐるぐると一周しているうちに、いつの間にか別の場所から外へ出てきます。
実際に自分の足で歩いてみて、ようやくこの建物の不思議な構造がわかりました。
さざえ堂を出て飯盛山を歩く
さざえ堂を出たあとは、そのまま飯盛山を歩きました。
さざえ堂の近くには宇賀神堂があり、そのそばには白虎隊を供養するための供養車があります。
私もここで供養車を回しました。
ここまでは「不思議な建物の中を歩いてみたい」という気持ちでさざえ堂を楽しんでいましたが、この先には白虎隊にまつわる史跡が続いています。
白虎隊十九士の墓から自刃の地へ
飯盛山には、戊辰戦争で命を落とした白虎隊十九士の墓があります。
実際に墓前まで来ると、さざえ堂を歩いていたときとは少し気持ちが変わりました。
お墓を正面から近くで撮影することにはためらいがあり、私は少し離れたところから写真を撮りました。
飯盛山には十九士の墓のほかにも、白虎隊三十一士の墓や飯沼貞雄の墓、慰霊碑などがあり、山の中を歩きながら見て回りました。
十九士の墓から数十メートルほど離れたところには、白虎隊自刃の地があります。
ここにはいくつかの碑や像があり、その中で特に目に留まったのが、額に手をかざして遠くを見つめる白虎隊士の像でした。
鶴ヶ城の方向を見つめる姿なのですが、近くで見るとまだあどけなさを感じます。
その姿を見ていると、なんとも切ないような、やりきれない気持ちになりました。
自刃の地のすぐ近くには一般の墓地もありました。
観光地を巡っているというより、ここでは自然と静かに手を合わせるような気持ちになりました。
自刃の地から遠くの鶴ヶ城を探す
自刃の地からは会津若松の市街地を見渡すことができます。
私も鶴ヶ城を探してキョロキョロしていると、そんな様子を見ていた地元の方が声をかけてくださり、城がある方向を教えてくれました。
目印は、遠くに見える白いポール。
森のように木が茂って見える場所の奥に鶴ヶ城があると教えてもらいました。
森も白いポールもわかったのですが、その先となると「んー……どこだろう?」。
思っていた以上に遠く、目を凝らしても肉眼ではなかなか鶴ヶ城を確認できませんでした。
周りにいた方たちも「どこ?」「見えない」と探していました。
方向を教えてもらって初めて、鶴ヶ城がずいぶん遠くにあることを実感しました。
戸ノ口堰洞穴と厳島神社へ
自刃の地をあとにして、さらに飯盛山を歩き、厳島神社や戸ノ口堰洞穴のある場所へ向かいました。
戸ノ口堰は猪苗代湖から会津盆地へ水を引くために造られた用水路です。
戊辰戦争の際、戸ノ口原から退却した白虎隊士たちは、この洞穴を通って飯盛山へたどり着いたとされています。
実際に洞穴を見ると、入口は思っていた以上に小さく感じました。
白虎隊士たちがここを通ったと知って眺めると、「私にはとても無理だな……」と思うほどです。
この小さな洞穴をどうやって通り抜けたのだろう、と考えながら眺めました。
先ほど自刃の地を見てきたばかりだったこともあり、この洞穴を前にすると、さざえ堂を目当てに飯盛山へ来たときとはずいぶん違う気持ちになっていました。
近くには厳島神社や子育地蔵尊もあり、その周辺も歩いてから飯盛山をあとにしました。
会津さざえ堂の所要時間|飯盛山も歩くなら余裕を
私が実際に歩いた感覚では、会津さざえ堂だけを見学するなら20〜30分ほどを見ておけばよいと思います。
ただし、さざえ堂は飯盛山の中にあります。
白虎隊十九士の墓や自刃の地、戸ノ口堰洞穴などもあわせて歩くなら、1〜2時間ほど見ておくとゆっくり回れます。
私は資料館には入っていません。資料館も見学する場合は、さらに時間に余裕を持っておくとよさそうです。
会津さざえ堂へのアクセス
会津さざえ堂は、福島県会津若松市の飯盛山にあります。
- 所在地:福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155
- アクセス:JR会津若松駅からまちなか周遊バスを利用し、「飯盛山下」で下車
- 飯盛山正面参道:183段の石段。有料のスロープコンベアあり
- 所要時間の目安:さざえ堂のみ20〜30分ほど。飯盛山の史跡も巡る場合は1〜2時間ほど
拝観時間や拝観料、スロープコンベアの料金などは変更される場合があるため、訪問前に最新情報を確認してください。

JR会津若松駅に到着。駅前には白虎隊士の像があり、ここからバスで飯盛山へ向かいました。










さざえ堂の近くに建つ宇賀神堂。堂内には白虎隊十九士の霊像が安置されています。
宇賀神堂のそばにある供養車。白虎隊士の霊を慰めるものとされ、私もここで回しました。





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