2026年8月。
4年ぶりに、高岡市伏木の勝興寺を訪れました。
初めて訪れた2022年10月は、まだ国宝指定前。
その約2か月後、本堂と大広間及び式台が国宝に指定されました。
今回は、前回ほとんど見ることができなかった建物の内部をじっくり歩き、境内に伝わる「七不思議」も探してみることに。
巨大な本堂を支える太い柱、外観とは印象の違う華やかな堂内、そして寺院にいることを忘れそうになった大広間と式台。
気づけば、勝興寺だけで2時間ほど過ごしていました。
勝興寺を出たあとは、伏木北前船資料館へ。
急な階段を上って望楼に立ち、現在の伏木の町並みと、その向こうに見える海を眺めました。
4年ぶりの伏木、まず目に留まった洋館
勝興寺を初めて訪れたのは2022年10月。
それから約4年ぶりに、JR氷見線の伏木駅で降りました。
勝興寺へ向かう途中、まず目に留まったのが「高岡市伏木気象資料館」です。
明治時代の旧伏木測候所を利用した建物で、淡い色の外壁に塔屋をのせた洋館風の姿が印象的です。
前回もここで写真を撮っているのですが、曇った日の写真だったせいか、今見返すとずいぶん違って見えます。
この日は青空に白い雲。
明るい外壁が空によく映えて、「こんなに素敵な建物だったんだ」と、あらためて眺めてしまいました。
今回は中には入らず、そのまま勝興寺へ向かいます。
総門をくぐり、勝興寺の境内へ
勝興寺に到着すると、最初に迎えてくれるのが総門です。
初めて訪れた約2か月後、勝興寺の本堂と大広間及び式台が国宝に指定されました。
今回は国宝となった建物の内部も含め、前回じっくり見ることができなかった場所をあらためて歩いてみます。
もうひとつ気になっていたのが、境内に伝わる「七不思議」です。
総門をくぐって受付を済ませ、境内へ。
そして唐門を目にしたところで、ふいに前回の記憶が戻ってきました。
「あ、やっぱり前回もここまで入っていたんだ」
曇り空だった前回は、唐門が黒い塊のように写ってしまい、何度も撮り直したことを思い出しました。
ところが今回は、夏の日差しを受けて金色の装飾までくっきりと見えます。
同じ門なのに、天候が違うだけでこんなにも印象が変わるのかと驚きました。
唐門の彫刻と、境内に伝わる七不思議
あらためて唐門へ近づいてみると、金色の装飾だけでなく、細かな木彫りにも目を奪われました。
花や植物を立体的に彫り上げた細かな仕事を眺めていると、門というより一つの工芸品を見ているようでした。
この唐門は、もとは京都の興正寺にあったもので、北前船で伏木へ運ばれてきたのだそうです。
京都にあったこれほど大きな門が、船でここまで運ばれてきたと知ったのも意外でした。
唐門の手前には「勝興寺の七不思議」の案内板があります。
前回訪れたときに、「いつか見てみたい」と思っていた七不思議です。
天から降った石、水の涸れない池、三葉の松などを見ながら境内を歩きました。
そのひとつ、「魔除けの柱」も印象に残りました。
本堂の柱のうち一本だけに桜の木が使われ、さらに柱の向きもほかとは逆。あえて欠点をつくることで魔除けとしたものだそうです。
この話を聞いて思い出したのが、以前訪れた日光東照宮の「逆柱」でした。
完成されたものはその瞬間から崩壊が始まるという考えから、あえて柱を逆さにして不完全な状態にし、災いを避けたといわれています。
日光と伏木。
遠く離れた場所で、「あえて完璧にしない」という似た考え方が建築に残っていることが、なんだか面白く感じました。
そして、なかでも苦労したのが「屋根を支える猿」。
本堂のかなり高いところにあるため、肉眼ではまず「どこにいるの?」というところから始まりました。
目を凝らして見上げると、柱の上に何か塊のようなものが見えます。
「もしかして、あれ?」とズームのきくカメラをのぞきながら探しました。
左右に似た彫刻があったので、「このあたりにあるものは全部そうなのかな」と両方とも撮影。
ところが帰ってから確認すると、七不思議として紹介されている猿は片方だけだったようです。
近くで見られるレプリカは確かに猿なのですが、本堂の上にいる実物は遠すぎて、私にはどうしても少し妖怪のように見えてしまいました。
唐門の向こうに現れた、巨大な本堂
唐門をくぐると、広い境内の正面に本堂が現れます。
前回も「大きなお寺だな」と思ったはずなのに、あらためて目の前にすると、その大きさに圧倒されました。
どーん、と構えている。
そんな言葉が一番しっくりきます。
本堂は寛政7年(1795年)に再建された建物で、近世の大型真宗本堂として屈指の規模を持つとされています。
正面から眺めるだけでなく、横へ回ってみると、その大きさがさらによくわかりました。
長く続く外廊下。
太い柱が何本も並び、その上には複雑な木組みが重なっています。
巨大な屋根をこれだけの木の柱が支えている。
力強いのに、不思議と重苦しくありません。
むしろ柱が整然と並ぶ姿や、長い軒下を見ていると、建築としての美しさを感じました。
蝉の声が響く境内で、木の匂いを感じながら本堂の外廊下を歩きます。
柱の向こうには、境内の緑。
この場所の雰囲気がなんとも心地よく、上を見上げたり、境内を眺めたりしながら何度も行ったり来たりしていました。
柱の間から眺める景色も気に入り、七不思議の「実ならずの銀杏」を額縁に入れるように撮ってみたり。
なかなか先へ進めません。
外の重厚さから一転、本堂の中は華やかだった
外から見る本堂は、木そのものの色を生かした重厚な佇まいです。
ところが中へ入ると、印象が大きく変わりました。
金色の装飾が広がり、天井からは大きな吊り飾り。
さらに驚いたのが、堂内に立つ巨大なろうそくでした。
こんなに大きなろうそくを見るのは初めてです。
見上げながら、「火を灯すときはどうするんだろう」と余計なことまで気になってしまいました。
吊り飾りもかなり大きく、真下に立って見上げると、その重量まで想像してしまいます。
外は木の色を基調とした落ち着いた姿なのに、中へ入ると金色をまとった華やかな空間。
同じ建物とは思えないほど印象が変わりました。
式台へ入ると、「お寺」という感覚が少しずつ消えていく
本堂を出て、今度は式台や大広間のある建物へ向かいました。
ここから、勝興寺に対する私の印象が少しずつ変わっていきます。
長い廊下の横に畳敷きの部屋が続き、襖には同じ文様が繰り返されています。
さっきまで巨大な本堂の中にいたのに、ここへ来ると急に寺院らしさが薄くなりました。
そして大広間へ入ったところで、その感覚はさらに強くなります。
大広間で思い出したのは、寺ではなく城の御殿
畳敷きの広い空間に太い柱が並び、その奥には一段高くなった場所があります。
簾が下がったその場所を見た瞬間、頭に浮かんだのは寺院ではありませんでした。
少し前に歩いた、川越城本丸御殿。
もちろんまったく同じ建物ではありません。
それでも、ここで人と人が向き合い、何かを話していたであろう空間のつくりを見ていると、私には「お寺」というより、武家の御殿や政務を行う場所のように感じられました。
あとで調べると、大広間は人と対面するための「対面所」として発展した建物で、式台も武家住宅との共通点を持つ建築なのだそうです。
巨大な本堂を見ていたときとは、まったく違う一面がここにありました。
台所にも彫刻、そして書院へ
大広間から台所へ進むと、今度は空気ががらりと変わります。
太い梁がむき出しになった高い天井。
本堂や大広間とは違う、生活のための空間です。
それでも、ふと見ると壁には龍の彫刻がありました。
台所にまで、こんな立派な彫刻があるんだ。
勝興寺では本堂の上にも数多くの彫刻があり、唐門にも細かな彫刻が施されています。
詳しい技法まではわからなくても、歩いていると何度も足を止めて見上げたくなりました。
その先は書院、そして奥書院へと続きます。
奥書院は撮影できませんでしたが、書院には七不思議の「雲龍の硯」や「屋根を支える猿」のレプリカも展示されていました。
途中で目に留まったのが、梅鉢紋の入った「梅鉢紋蒔絵女乗物」です。
説明によると、加賀藩12代藩主・前田斉広の二男が勝興寺へ入寺する際に使用したと伝わるものだそうです。
同種のものが石川県美術館に所蔵されており、そちらは加賀藩御細工所製ともいわれているそうです。
歴史や技法に詳しいわけではありませんが、梅鉢紋と細かな装飾を見ていると、勝興寺と前田家とのつながりが目に見える形で残っているように感じました。
2時間歩いて、前回とは違う勝興寺の姿が見えてきた
気がつけば、勝興寺に2時間ほど滞在していました。
前回は広い境内と本堂を外から眺め、「立派なお寺だな」と思って帰った場所です。
ところが今回は、本堂の巨大な柱や彫刻を見上げ、華やかな堂内を歩き、式台から大広間、台所、書院へ。
歩けば歩くほど、最初に抱いていた「大きなお寺」という印象だけでは収まらなくなっていきました。
今回あらためて内部まで歩いてみて感じたのは、「さすが国宝」というよりも、
「国宝になったのも納得だな」
ということでした。
そして4年前に残していた「次は七不思議を巡ってみたい」という小さな宿題も、今回ようやく回収できました。
伏木でもう一か所、望楼の残る北前船資料館へ
勝興寺を出たあと、伏木でもう一か所立ち寄ったのが、高岡市伏木北前船資料館です。
かつて廻船問屋を営んだ旧秋元家住宅を利用した資料館で、屋根の上には船の出入りを見張るために使われた「望楼」が残っています。
私のお目当ては、その望楼でした。
入口近くには大きな「ニシン釜」も置かれています。
北海道から運ばれたニシンを魚肥に加工するために使われたもので、高岡の鋳物業で大量に造られたものだそうです。
高岡の鋳物といえば金屋町を思い浮かべていたので、こんなところにも高岡の鋳物があったのかと意外に感じました。
急な階段を上って望楼へ
望楼へ向かう階段は、想像していた以上に急でした。
幅も狭く、途中では頭上にも注意しながら上っていきます。
暑い日だったこともあり、最上部までたどり着くころにはなかなかの運動になっていました。
ようやく着いた望楼は、畳敷きの小さな部屋でした。
開いた窓からは、夏の風が通り抜けていました。
ここから昔の人たちは、港へ出入りする船を見ていたのだそうです。
ところが現在の景色を見て、少し意外に思いました。
思っていたほど、海が大きく見えないのです。
考えてみれば、当時とは町の姿がまったく違います。
今は住宅や建物が立ち並び、その向こうに海が見えています。
この望楼が使われていたころは、もっと低い家々の向こうに海が広がり、帰ってくる船を遠くから見つけることができたのかもしれません。
期待していたような大展望ではなかったけれど、窓から入ってくる風はとても気持ちがよく、しばらくここから伏木の町を眺めていました。




























🏯 高岡に残る、もう一つの国宝寺院へ
勝興寺と同じ高岡市には、前田家ゆかりの国宝・瑞龍寺があります。整然とした伽藍を歩き、国宝の山門・仏殿・法堂をめぐったほか、屋根の葺き替えが続く北回廊では杮板を一枚納めました。


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