2026年9月。東京都文京区千駄木にある「旧安田楠雄邸庭園」で、邸宅内部を巡るガイドツアーに参加しました。
邸内には、客を迎える応接間や座敷だけでなく、茶の間や台所、化粧室など、家族が暮らしていた場所も残されています。
今回はガイドの解説を聞きながら、建物の造りや生活のための設備、家族と客人で分けられていた動線などを見ていきました。
旧安田楠雄邸の建物と歴史
この邸宅は、実業家で豊島園の創始者でもある藤田好三郎の住宅として1919年(大正8年)に建てられました。 1923年(大正12年)には安田善四郎が取得し、その後、長男の安田楠雄へと受け継がれています。
現在の敷地は約450坪。 玄関や応接間のある東側から、残月の間などの客間、茶の間や台所などの生活空間へと、建物が少しずつ位置をずらしながら続いています。
旧安田楠雄邸庭園は、東京メトロ千代田線の千駄木駅から徒歩約7分。 通常は水曜日と土曜日に一般公開されています。
玄関から唯一の洋室「応接間」へ
表門から敷地に入り、まず主玄関へ向かいます。 家族が日常的に使う内玄関とは別に設けられた、客を迎えるための玄関です。
玄関から進んだ先にあるのが、邸内で唯一の洋室「応接間」です。 和室が中心の邸宅の中で、この一室だけは雰囲気が大きく変わります。
室内には、建築当初の壁のクロスやカーテン、型ガラスなどが残されています。 柱や家具、扉などにはクルミ材が使われ、家具や調度品も含めて当時の応接空間を見ることができます。
応接間の庭側にはサンルームが設けられています。 ガラス戸の向こうには庭が広がり、ここから先も廊下や各部屋から庭を眺めながら奥へ進んでいきます。
中庭を見ながら「残月の間」へ
応接間からさらに奥へ進むと、洋室から一転して和の空間が続きます。 廊下のガラス戸越しには中庭が見え、その先にあるのが「残月の間」です。
残月の間には床の間と書院が設けられ、庭側には畳敷きの広縁が続いています。 室内から庭へ大きく視界が開き、座った位置から庭を眺めることを意識した造りになっていました。
旧安田邸の建物は一直線に並ぶのではなく、少しずつ位置をずらした雁行式に配置されています。 そのため、応接間のサンルームや残月の間など、見る場所によって庭の見え方が変わります。
残月の間では、建築当初から残る照明も見せてもらいました。 鳥をかたどった透かし彫りが施されていて、ガイドの方が後ろから紙を当てると、その細かな意匠がよく分かりました。
邸内の調査では、2階の天井裏から1918年(大正7年)5月の日付が入った棟札も見つかっています。 施主の藤田好三郎と、請負人の清水組の名が記され、建物の上棟時期や施工者を確認する資料となっています。
残月の間の畳の下に残る防空壕
残月の間の広縁には、もう一つ意外なものが残されています。 畳を上げると階段があり、その下には戦時中につくられた防空壕があります。
現地の解説によると、防空壕は4畳ほどの広さがあり、中で立って歩けるほどの高さがあります。 壁には大谷石が積まれ、天井にはコンクリート板が使われた頑丈な造りです。
さらに奥には鉄製の扉で仕切られた空間があり、鉄の梯子を使って庭側へ脱出できるようになっていました。
庭を眺めると飛び石が並んでいますが、その地下に防空壕があることは、外から見ただけでは分かりません。 客を迎えるための座敷と、戦時中に備えてつくられた防空壕が同じ場所に残っていることも、今回の見学で知ったことの一つでした。
家族が過ごした茶の間
残月の間からさらに奥へ進むと、家族が日常的に使っていた茶の間があります。
客を迎える残月の間とは異なり、床の間は踏み込み床と呼ばれる簡素な造りで、床柱には赤松が使われています。 庭に面した側には猫間障子が入り、座ったままでも庭を眺められるようになっていました。
茶の間で特に面白かったのが、東側の押入れです。 戸を開けると内部に水屋が設けられていました。
普段は戸を閉めて見えない場所ですが、茶器などを扱うための設備が部屋の中に組み込まれています。 天袋の桐の引き戸には、梅の枝と鉄線の花が墨で描かれていました。
昭和4年に改装された台所
茶の間の先には台所があります。 もともとは土間でしたが、1929年(昭和4年)、安田楠雄と妻・幸子の結婚に合わせて改装されました。
改装ではアメリカ式の台所が取り入れられ、土間から板張りに変更されました。 中央には流しが置かれ、その周囲を人が動けるアイランド型の配置になっています。 複数の人が一緒に作業しやすいよう考えられた造りです。
上を見ると屋根には天窓があり、明るさを取り入れられるようになっています。 窓際には水切り棚などもあり、当時の台所仕事を支えた設備が残っていました。
台所には「蝿帳(はいちょう)」も残されています。 冷蔵庫が一般家庭に普及する以前、食べ物を一時的に置いておくために使われたもので、金網を張ることで風を通しながら蝿などが入るのを防ぐ仕組みです。
化粧室と風呂場
台所の近くには、畳敷きの化粧室と風呂場があります。
化粧室には、完全には復原されていないものの、髪を洗うために使われていたと考えられる設備が残っていました。
「これは何ですか」とガイドの方に尋ねたところ、当時の女性は髪が長く、現在のようなシャンプーもなく髪油を使っていたため、こうした場所が必要だったのではないかという説明がありました。
風呂の湯は台所脇のガス釜から送られていました。 台所と風呂場が近くに配置されていることにも、当時の生活設備とのつながりが見えてきます。
階段を上って2階へ
1階の生活空間を見たあと、階段を上って2階へ向かいました。
階段の途中にある大きな窓には曇りガラスが使われていますが、 中央付近には細い帯状の透明な部分があります。 そこから外の庭を眺めることができました。
2階の予備室と客間
階段を上がった先には予備室があります。
この部屋には、壁に板を取り付けて簡略な床の間とした「織部床」が設けられています。 障子は雪見障子になっていました。
さらに進むと、2階の客間と次の間があります。 二間続きの和室で、客間には床の間や床脇、書院が設けられています。
ここで気になったのが、客人が2階の客間までどのように来ていたのかということでした。 私たちが上ってきた階段を使うと、客人が家族の生活空間を通ることになります。
ガイドの方に尋ねると、客人は私たちが上ってきた階段ではなく、 別に設けられた階段を使って客間へ来ていたそうです。
客間周辺の廊下を見ると、予備室側と客用階段側のそれぞれに杉戸があります。 杉戸を閉めることで客人が家族側へ入らないようにでき、 家族の生活空間と客を迎える空間を分けて使えるようになっていました。
庭側には縁側が続き、その前には枝垂れ桜があります。 今回は花の時期ではありませんでしたが、2階から見ると枝がすぐ近くまで伸びていました。
ガイドツアーは、この2階の客間で終了しました。 その後、邸内を巡回していた別のガイドの方が、桜の時期に撮影した写真を見せてくれました。 花が咲く頃には、畳に座って枝垂れ桜を間近に眺めることができるそうです。






2階の天井裏から見つかった棟札。1918年(大正7年)5月の日付と、施主・藤田好三郎、請負人・清水組の名が記されています。



1929年(昭和4年)の改装でアメリカ式の台所が取り入れられ、中央に流しを置く配置になりました。


客人は家族とは別に設けられた階段を使って、2階の客間へ案内されていました。
🏛 東京で歴史的建築の内部を訪ねる
東京には、かつての邸宅や学校建築など、内部を見学しながら建物の造りや当時の使われ方を知ることができる場所が残っています。

コメント