2024年12月に一般公開された荻外荘を見てみようと、2025年2月に荻窪を訪れました。
このときの目的は荻外荘だけでしたが、現地でもらった案内をきっかけに、角川庭園、大田黒公園まで歩いて巡ることにしました。
近衞文麿の旧邸である荻外荘、角川書店創業者・角川源義の旧邸である角川庭園、音楽評論家・大田黒元雄の旧邸跡に造られた大田黒公園。
三庭園は徒歩圏内にあり、それぞれ政治・文学・音楽にまつわる歴史が残されています。
この記事では、実際に歩いた順番や所要時間とともに、荻外荘で印象に残った客間や復原された意匠、角川庭園、大田黒公園で知った建物や庭園の背景について紹介します。
一般公開された荻外荘を目当てに荻窪へ
2025年2月。
前年12月に一般公開が始まった「荻外荘(てきがいそう)」を訪ねるため、荻窪へ向かいました。
このときの私は、近衞文麿や荻外荘の歴史、建物を設計した伊東忠太について詳しく調べていたわけではありません。
歴史のある建物を見ることが好きなので、「新しく一般公開されたなら行ってみよう」というくらいの気持ちでした。
荻窪駅から荻外荘までは、歩いて12分ほど。
途中には案内表示もあり、特に迷うことなく到着しました。
2024年12月9日に一般公開されたばかりということもあってか、館内には思っていた以上に多くの見学者がいました。
私が訪れたときには、いくつかの場所に説明してくださる方もいて、自由に館内を見ながら話を聞くことができました。
荻外荘へ|見学して初めて知った近衞文麿の旧邸
荻外荘は1927(昭和2)年、建築家・伊東忠太の設計によって、医師・入澤達吉の別邸として建てられました。
その後、近衞文麿の邸宅となり、昭和前期には重要な政治会談の舞台にもなった建物です。
そうした歴史をほとんど知らずに訪れた私でしたが、館内を歩き、説明を聞いていくうちに、少しずつこの場所の背景が見えてきました。
荻窪会談が行われた、ひときわ個性的な客間
館内を歩いていて、それまで見てきた部屋とは雰囲気が大きく違うと感じたのが客間でした。
壁には動物を思わせる独特な文様が広がり、その下にはまた異なる文様。
赤い椅子や青を使ったテーブルクロスなど、家具や調度品も含めて、とても個性的な空間です。
正直なところ、私には少しちぐはぐな組み合わせにも感じられ、好みのインテリアではありませんでした。
ところが、ここが1940(昭和15)年の「荻窪会談」が行われた部屋だと知ります。
近衞文麿をはじめ当時の政治家たちが集まり、日本の行方に関わる重要な話し合いをした場所。
説明を聞きながら、「こんな部屋で日本の将来に関わる話がされていたのか」と、しばらく室内を眺めていました。
ただ、当時の私は近代史にも荻外荘にも詳しくなく、「とても重要な会談が行われた場所」という程度の理解でした。
その意味や、この建物そのものの価値まで十分に分かっていたわけではありません。
この記事を書くにあたってあらためて調べてみると、この客間は古写真などをもとに、壁紙や絨毯だけでなく、家具や調度品、テーブルの上の小物まで復原されていることを知りました。
あのとき何気なく見ていた個性的な空間も、当時の客間をできる限りよみがえらせようとして復原されたものだったのです。
螺鈿の家具と龍の敷瓦が目を引いた応接室
一方、応接室で特に目を引いたのが、螺鈿(らでん)が施された家具でした。
貝殻の光沢が浮かぶ装飾がきれいで、説明してくださる方に尋ねたことを覚えています。
現在置かれている家具の中には、当時の実物が残っていなかったため、昭和初期の古写真などを手掛かりに復原されたものがあります。
螺鈿についても、時代や地域による文様の違いまで調べ、職人の技術を使って当時の姿に近づけていったそうです。
そして足元にも、思わず目が向きました。
玄関から応接室にかけて敷かれているのは、龍のような文様が浮かぶ敷瓦です。
復原工事では残っていた瓦だけでは足りず、多くの敷瓦が新たに作られています。
古いものを残すだけではなく、失われたものを写真や残された資料から読み解き、もう一度つくる。
現在の荻外荘には、そうして復原されたものも数多く残されています。
約60年離れていた建物を、もう一度荻窪へ
さらに驚いたのは、現在の荻外荘が一度ばらばらになった建物を再びつなぎ合わせて復原したものだということでした。
1960(昭和35)年、建物の東側にあたる玄関棟と客間棟は、荻窪から豊島区へ移築されました。
そのため荻外荘は長い間、荻窪に残った部分と豊島区へ移された部分に分かれていました。
その後、杉並区による保存・復原整備が進められ、豊島区にあった建物は再び荻窪へ。
移築後の改変や傷んだ部材を確認しながら、柱や梁などを修復し、近衞文麿が暮らしていた時代の姿へと復原されました。
見学時にはそこまで理解していませんでしたが、建物を戻しただけではなく、家具や壁紙、敷瓦など細かな部分まで史資料をもとに復原されていたことが分かりました。
一般公開までにかけられた時間と手間の大きさに、あらためて驚きます。
古いガラスに残る「揺らぎ」
説明を聞いて特に印象に残ったものの一つが、窓ガラスでした。
古いガラスには、現在の均一なガラスとは違うわずかな揺らぎが見えるものがあります。
説明を聞いてから見ると、同じように見えていた窓にも古いものと復原されたものの違いがあり、建物を見る目が少し変わりました。
照明にも、残されていたものを手掛かりに復原されたものがあります。
建物だけを見るのではなく、「どこまでが残ったものなのか」「どこからが復原されたものなのか」と考えながら歩くのも、荻外荘の面白さでした。
模型で知った、かつての大きな池
館内には、かつての荻外荘と庭園の姿を再現した模型もありました。
そこで目を引いたのが、建物の南側に広がる大きな池です。
現在は芝生が広がっていますが、かつてはここに大きな池があり、その先には水路や田園が広がっていたそうです。
今の荻窪の住宅街からはなかなか想像できません。
模型を見ることで、建物だけではなく、荻外荘を取り巻いていた風景そのものが現在とは大きく違っていたことが分かりました。
旧食堂では荻外荘の歴史を紹介する映像も
旧食堂では、荻外荘の歴史を紹介する映像が流れていました。
大きなテーブルと椅子が置かれており、私が訪れたときには座って映像を見ている方も多くいました。
後ろから見るのも落ち着かず、この日は少し眺めただけで先へ進みました。
実はその後、秋に友人と再び荻外荘を訪れたのですが、そのときも同じような状況で、私はいまだにこの映像をじっくり見られていません。
荻外荘では1時間ほどのつもりが、説明を聞いたり細かな意匠を見たりしているうちに、気づけば1時間を超えていました。
荻外荘でもらった案内から「荻窪三庭園」めぐりへ
この日は荻外荘を見ることだけを目的に荻窪へ来ていました。
ところが館内でもらった案内を見ると、荻外荘だけでなく、「角川庭園」「大田黒公園」と合わせて「荻窪三庭園」と紹介されています。
地図を見ると、どちらも歩いて行けるほど近い場所にありました。
さらに「大田黒公園」という名前には、どこか聞き覚えがあります。
思い返してみると、ずいぶん昔、紅葉の季節に一度訪れたことのある公園でした。
せっかくここまで来たのなら、三つとも歩いてみよう。
そんな軽い気持ちで、予定になかった「荻窪三庭園めぐり」が始まりました。
角川庭園へ|角川書店創業者・角川源義の旧邸
荻外荘を出て、次に向かったのは角川庭園。
歩いて5分ほどの距離です。
「角川」という名前から出版社との関係は想像したものの、ここが角川書店の創業者で、俳人でもあった角川源義の旧邸だということは、訪れるまで知りませんでした。
角川源義が晩年を過ごした旧邸「幻戯山房」と庭園が整備され、現在は杉並区立角川庭園として公開されています。
荻外荘と比べると建物も庭もこぢんまりとしていて、館内を見学して庭を歩いても、それほど時間はかかりませんでした。
訪れたのは2月。
庭には白梅が咲き、水琴窟もありました。
私は20分弱で見学を終え、次の大田黒公園へ向かいます。
大田黒公園へ|30年ほど前に訪れた公園を再び歩く
角川庭園から大田黒公園までも、歩いて5分ほどでした。
大田黒公園を訪れるのは、これが初めてではありません。
30年ほど前、紅葉の季節に一度訪れたことがあります。
ただ、そのときの私にとって大田黒公園は「紅葉を見に来た公園」。
誰の旧邸だったのか、どのような歴史を持つ場所なのかは、まったく知りませんでした。
今回は冬の昼間。
紅葉の季節とは違う園内を歩いていると、思いがけない建物が目に入りました。
黒い瓦屋根の洋館を見つけて、公園の由来を知る
庭園の中に建っていたのは洋館でした。
「どうして公園の中に洋館があるのだろう?」
しかも、洋風の建物なのに屋根には黒い日本瓦が載っています。
洋館のようでいて、どこか日本的でもある不思議な建物が気になり、案内を読んでみました。
そこで初めて、大田黒公園が音楽評論家・大田黒元雄の旧邸跡を整備した公園であることを知りました。
「えっ、この公園は、もともと個人のお庭だったの?」
そう思って改めて園内を見ると、入口の立派な門構えにも納得します。
30年ほど前にも同じ場所を訪れていたのに、そのときは紅葉を見て帰っただけ。
昼間に歩き、洋館を見つけたことで、ようやくこの公園の成り立ちを知ることになりました。
洋館に入って目を奪われたのは、ピアノではなく壁
この洋館は1933(昭和8)年に建てられ、大田黒元雄の仕事場として使われていた建物です。
現在は記念館として公開されています。
30年ほど前に訪れたときには建物に入った記憶がなく、内部を見るのは今回が初めてでした。
館内には大田黒元雄が愛用した1900年製のスタインウェイのピアノも展示されています。
ところが、私がまず目を奪われたのはピアノではなく、その後ろに広がる壁でした。
四角い模様が並んだ、何とも不思議な色合いの壁。
文化財の記録では「銅色の濃淡をつけた碁盤縞の壁紙貼り」と表現されている、もともとの意匠を復原した壁紙です。
暖炉や濃い色の家具、寄木張りの床と組み合わさった室内は、外から見た洋館とはまた違う印象でした。
洋館なのに黒い瓦屋根。
中に入れば、今度は見たことのないような壁紙。
紅葉を見る公園だと思っていた場所に、こんな建物が残っていたことが意外でした。
池で見つけた、小千谷市から贈られた錦鯉
洋館を出て庭園を歩くと、池では錦鯉が泳いでいました。
そばにあった案内を見ると、新潟県小千谷市から贈られた錦鯉とのこと。
案内には、複数の年に小千谷市から錦鯉が贈られ、放流されたことが記されていました。
なぜ杉並区の公園に小千谷市の錦鯉がいるのだろうと思いましたが、杉並区と小千谷市には災害時相互援助協定を結んできたつながりがあります。
2014年には協定締結10周年を記念して30尾の錦鯉が贈られ、大田黒公園の池に放流されています。
園内を一通り歩いたあとは、少し座ってお茶を飲みながら休憩しました。
大田黒公園で過ごしたのは30分あまりです。
紅葉の季節とはまったく違う冬の庭園でしたが、今回は洋館の存在から、この場所が大田黒元雄の旧邸跡だったことを初めて知りました。
同じ公園に二度来ていても、見ているものはずいぶん違うものです。
荻窪三庭園の回り方|実際に歩いた順番と所要時間
この日、私が歩いた順番は「荻外荘 → 角川庭園 → 大田黒公園」です。
実際に歩いた時間と見学時間は、おおよそ次のようになりました。
荻窪駅 → 約12分 → 荻外荘(1時間強)
荻外荘 → 約5分 → 角川庭園(20分弱)
角川庭園 → 約5分 → 大田黒公園(30分強)
大田黒公園 → 10分弱 → 荻窪駅
荻窪駅を出てから戻るまで、私の場合は全体で2時間少々でした。
ただし、いちばん時間が変わりそうなのは荻外荘です。
建物を短時間で見ることもできますが、説明を聞いたり、細かな意匠や展示を見たり、旧食堂の映像までじっくり見るなら、1時間はあっという間だと思います。
三庭園を急がずに巡るなら、2~3時間ほどみておくと歩きやすいでしょう。
三庭園の間はどこも徒歩5分ほどと近く、道中には三庭園への案内表示も多くありました。
私は地図と案内を見ながら歩き、道に迷うこともありませんでした。
知らずに歩いたからこそ面白かった荻窪三庭園
一般公開された荻外荘を見てみよう。
この日の始まりは、それだけでした。
荻外荘でもらった案内をきっかけに、予定になかった角川庭園と大田黒公園まで歩くことになり、結果として三つの庭園を巡る散策になりました。
政治の舞台となった近衞文麿の旧邸・荻外荘。
角川書店を創業した俳人・角川源義の旧邸である角川庭園。
音楽評論家・大田黒元雄の旧邸跡に造られた大田黒公園。
最初から三人について詳しく知っていたわけではありません。
むしろ知らなかったからこそ、歩きながら「ここはそういう場所だったのか」と知っていく散策になりました。
特に大田黒公園は、30年ほど前にも訪れていた場所です。
当時は紅葉のきれいな公園として見ていた場所を、今回はまったく違う目で見ることになりました。
荻窪駅から歩いて巡ることのできる三つの庭園。
それぞれの規模や見どころは違いますが、三庭園を続けて歩くことで、荻窪に残された政治・文学・音楽の歴史を少しずつ知ることができました。














🌿 荻窪で出会う庭園と文化の風景
今回、冬の昼間に歩いた大田黒公園は、30年ほど前に紅葉の季節にも訪れていた場所でした。
その後、あらためて秋に訪れた際の銀杏並木や池を彩る紅葉の様子は、こちらの記事で紹介しています。


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