旧日立航空機株式会社変電所を見学|空襲の弾痕と内部に残る設備

旧日立航空機株式会社変電所の正面外観と空襲による多数の弾痕 大人の社会科見学

東京都東大和市に残る旧日立航空機株式会社変電所は、戦時中の空襲による被害を今に伝える戦争遺構です。

外壁に刻まれた約280か所の被弾痕だけでなく、建物内部にも弾丸が貫通した跡や当時の電気設備が残されています。 この記事では、ガイドツアーで学んだ航空機エンジン工場の歴史や空襲の被害、従業員の証言、建物の内外で見学したものを紹介します。


旧日立航空機株式会社変電所を訪問

2026年10月14日、東京都東大和市の東大和南公園内にある「旧日立航空機株式会社変電所」を訪れました。

以前、この場所に戦争の痕跡を残す建物が保存されていることを知り、一度見学したいと思っていました。 外観はいつでも見ることができますが、建物内部の公開日は限られており、天候と予定がなかなか合わず、訪問が延び延びになっていました。

この日も雨の予報でしたが、午後から天候が回復。予定どおり訪れることにしました。

旧日立航空機株式会社変電所は、戦時中に航空機エンジンを製造していた工場へ電力を供給するため、昭和13(1938)年に建設された施設です。 昭和20(1945)年の空襲でも建物が残り、現在は東大和市の指定文化財として保存されています。

建物の外壁には無数の弾痕が残り、内部にも当時の設備や空襲の痕跡を見ることができます。

今回は約60分のガイドツアーに参加し、1階の展示資料を見ながら工場の歴史や空襲について説明を受けました。 その後、当時の従業員の証言映像を視聴し、建物の内外に残る被弾痕や設備を見学しました。

航空機エンジン工場と、そこで働いていた人々

ガイドツアーは、1階に展示された写真や資料を見ながら、かつてこの場所にあった工場の歴史を学ぶところから始まりました。

現在の東大和南公園一帯には、1938年に東京瓦斯電気工業株式会社の航空機エンジン工場が建設され、翌1939年には日立航空機株式会社立川工場となりました。

工場では、陸軍の練習機「赤とんぼ」などに搭載する航空機エンジンを製造していました。 展示資料には当時の工場の写真や製造されたエンジンの種類、生産状況などが紹介されていました。

工場の規模は戦争の進行とともに拡大し、1944年9月には従業員数が13,896人に達していました。 展示されていた出身県別の入社記念写真からは、富山県や石川県、滋賀県など、全国各地から人々が集まっていたことがわかります。

工場の周辺には、従業員が暮らす長屋形式の寮や、家族と住むための社宅が整備され、学校や診療所なども設けられていました。 工場の建設によって、周辺には従業員とその家族が生活する街が形成されていったそうです。

また、工場には5年制の青年学校もあり、午前中に授業を受け、午後は実習を行っていたと説明を受けました。

1944年からは学徒勤労動員も始まり、15〜16歳ほどの生徒たちも工場で働くようになりました。 こうした若い人たちのなかにも、翌年の空襲で犠牲になった人がいたそうです。

工場には独自の工場歌もあり、展示室には当時の工員章や賃金計算書なども残されていました。 生産設備だけでなく、そこで働いていた人々の暮らしや労働環境についても知ることができました。

3度の空襲と工場の被害

日立航空機立川工場は、1945年2月17日、4月19日、4月24日の3度にわたり、アメリカ軍の空襲を受けました。

最初の2月17日は、空母から飛来した艦載機による爆撃と機銃掃射で、78人が亡くなりました。 ガイドさんによると、犠牲者の多くは工場敷地内の防空壕に避難していた人たちでした。 防空壕の上に爆弾が落ち、生き埋めとなって亡くなった人が多かったそうです。

当時は、空襲警報が出てもすぐに生産を止めず、工場の稼働を続けることが求められていました。 ガイドさんは、当時の国の方針を示す文書を見せながら、防空壕が工場敷地内に設けられていた背景についても説明してくださいました。

2回目の4月19日には、P-51ムスタング戦闘機による機銃掃射を受け、周辺住民を含む5人が亡くなりました。

3回目の4月24日は、101機のB-29爆撃機による大規模な空襲でした。 工場の約8割が破壊され、操業を続けられない状態になりました。 この空襲では28人が亡くなり、3度の空襲による犠牲者は合計111人に上りました。

ただし、3回目の空襲では、最初の空襲で多くの犠牲者が出た経験から、工場敷地内にとどまらず、離れた場所へ避難した人たちがいました。

ガイドさんは、米軍が撮影した航空写真を使い、工場と避難先となった川の位置関係を説明してくださいました。 工場から数キロ離れた川の方まで避難したことが、被害を抑えることにつながったと考えられているそうです。

証言映像で知った空襲当時の様子

1階の展示資料を使った説明のあと、建物内で、当時工場で働いていた人たちの証言映像を視聴しました。

映像では、長い年月が経っても爆撃機の音が耳に残っていることや、空襲後に亡くなった人たちが並べられていた様子などが語られていました。 遺族に引き渡すため、遺体をきれいにして並べていたという話もありました。

特に印象に残ったのは、防空壕についての証言です。 避難しようとした防空壕が満員だったため、別の防空壕に入ったところ、最初に入ろうとした防空壕にいた人たちは亡くなり、自分は助かったというものでした。

また、3回目の空襲では、工場から離れた川の方まで避難したものの、そこでも怪我をして血を流している人を大勢見たという証言がありました。

もう一つ印象に残ったのは、変電所の建物について語られた言葉です。 現在の建物を見ると、壁一面に残る傷跡に驚きますが、当時は周囲の工場が跡形もなく破壊され、鉄骨が飴のように曲がっていたため、変電所はこの程度の被害で済んだと感じたそうです。

しかし、時代が変わり、当時の工場の建物がほとんど残っていない今では、傷だらけの変電所も残しておきたいと思うようになったと語られていました。

建物の内外に残る空襲の痕跡

証言映像を視聴したあとは、まず1階の蓄電池室を見学し、その後、屋外に出て建物の周囲に残る空襲の痕跡を確認しました。

1階の蓄電池室は当時のまま保存されており、ガイドさんの案内で、弾丸が壁を貫通した箇所と、貫通しなかった箇所を建物の内側と外側の両方から見学しました。

貫通しなかった箇所では、弾丸が壁の内部の鉄筋に当たっていたそうです。 コンクリートが剥がれた部分からは、その鉄筋が切れている様子も確認できました。

建物の外壁には、機銃掃射による被弾痕が約280か所残されています。 遠くから見ても壁一面に傷があることがわかりますが、近づくと、コンクリートが大きく削られた箇所や、弾丸が貫通した穴なども確認できました。

空襲で壁を貫通した箇所には、補修された跡も残っていました。 変電所は戦後も主要設備を更新しながら使用され、1993年まで工場へ電力を供給していました。 外壁や建物内部に空襲の痕跡を残したまま、戦後も長く使われていたことを知りました。

屋外に残る給水塔の一部と防護壁

屋外では、ガイドさんの案内で建物の周囲を一周しました。 最初に説明を受けたのは、建物の前に保存されている給水塔の一部です。

給水塔は変電所から西へ約230メートルの場所に建ち、高さは約25メートルありましたが、2001年に解体されました。 工場では地下約150メートルの井戸から水をくみ上げ、給水塔を通して工場内へ供給していたそうです。

建物の周囲を巡り、屋外見学の最後に案内されたのが防護壁の一部です。 防護壁は、変電所の高圧電気設備と周囲を隔てるために設けられたもので、現在はその一部が保存されています。 保存された壁には、空襲による損傷も残されていました。

変電所の設備と24時間監視のための仮眠室

屋外の見学を終えて建物に戻り、階段を上がって2階へ向かいました。

階段の壁や踏み段には、空襲によってコンクリートが欠けた箇所があり、手すりには弾丸がかすめた跡も確認できました。 現在は階段の一部がガラス製の踏み板に置き換えられており、傷んだ部分を残しながら見学できるようになっています。

2階には、電力の状態を確認するための計器やスイッチが並ぶ大きな盤が残されていました。 ガイドさんからは、工場への電力供給を維持するため、当時は24時間体制で設備を監視していたと説明を受けました。

その近くには、木製の仮眠室も残されていました。 設備に異常が起きた際にすぐ対応できるよう、監視用の装置のそばに設けられていたそうです。

訪問中には、見学に訪れた人たちのほか、小学生や年配のご夫婦の姿も見かけました。 公園内に保存されていることもあり、見学施設であると同時に、人々が日常の中で立ち寄る場所にもなっているように感じました。

旧日立航空機立川工場の戦時中の様子を紹介する展示写真
かつて東大和南公園一帯に広がっていた航空機エンジン工場。
空襲によって被害を受けた日立航空機立川工場の様子を伝える展示写真
空襲後の工場の様子を伝える展示写真。
旧日立航空機立川工場と周辺地域の位置関係を示す航空写真の展示
旧日立航空機株式会社変電所の1階に保存されている蓄電池室の内部
旧日立航空機株式会社変電所の蓄電池室の内側から見た貫通銃痕
建物の内側まで貫通した銃痕。
旧日立航空機株式会社変電所の蓄電池室の外壁に残る貫通した銃痕と鉄筋が切れた銃痕
左は鉄筋に当たって貫通しなかった箇所、右は壁を貫通した箇所。
旧日立航空機株式会社変電所の外壁に残る多数の機銃掃射による弾痕
旧日立航空機立川工場の給水塔の一部として保存されているコンクリートの部材
2001年に解体された給水塔の一部。
旧日立航空機株式会社変電所の屋外に保存されている防護壁の一部
高圧電気設備と周囲を隔てていた防護壁の一部。
旧日立航空機株式会社変電所の階段に残る手すりの弾痕とガラス製の踏み板
旧日立航空機株式会社変電所の窓ガラス越しに見える、空襲で損傷した階段
建物の外から窓越しに撮影した階段。空襲によってコンクリートが大きく欠けています。
旧日立航空機株式会社変電所2階に残る計器やスイッチが並ぶ監視設備
旧日立航空機株式会社変電所2階に残る電気設備と配線の様子
旧日立航空機株式会社変電所2階に保存されている木製の仮眠室
24時間体制で設備を監視するために設けられた仮眠室。

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