以前にも一度、造幣局さいたま支局を訪れたことがあります。
博物館にはきれいな貨幣やメダルが並び、ガラス越しに工場も見学できたのですが、正直なところ、そのときは「何を見ているのか」がよく分からないまま帰ってきました。
そこで今回は、ガイドツアーに参加して再訪。
通常貨幣とプルーフ貨幣は何が違うのか。500円貨にはどんな偽造防止技術が使われているのか。そして、同じ造幣局の中で作られる勲章は、貨幣とはまったく違う職人の世界でした。
さらに、戦争によって金属が不足し、ついには陶器で作られた貨幣や、製造されたものの発行されなかった「幻の10円洋銀貨」まで。
ガイドさんの話を聞きながら歩いていると、貨幣そのものが、その時代の社会を映しているように見えてきました。
前回はよく分からなかった造幣局へ、もう一度
造幣局さいたま支局を訪れるのは、今回が2回目です。
前回は自由に館内を見学しました。
色鮮やかな記念貨幣や貨幣セットを眺め、工場もガラス越しに見たものの、機械が何をしているのかもよく分からず、「きれいな貨幣がたくさんあったな」という印象で終了。
それなら今度は説明を聞きながら見てみようと、今回はガイドツアーを予約しました。
この日は参加者が私ひとり。
ガイドさんに案内していただきながら工場と博物館を回り、気になったことをその場で質問していきます。
「え? どうしてですか?」
「じゃあ、これは?」
と聞くたびに話が広がり、予定していた見学時間を超えて、気づけば約2時間になっていました。
見学の最初に見た映像で印象に残ったのが、信頼できる貨幣を作ることは、国や経済への信頼にもつながるという話でした。
明治時代に近代的な貨幣制度を整えるために始まった造幣局では、海外から機械や技術を取り入れながら貨幣製造をスタートしています。
このときはまだ何気なく聞いていたのですが、工場を見て、さまざまな貨幣の話を聞いたあと、この言葉がもう一度つながってきます。
さいたま支局で作っていた100円貨と500円貨
工場を見学する前に知ったのが、さいたま支局では貨幣を金属から作り始めているわけではないということでした。
貨幣の材料となる金属は、薄く延ばしたあと円形に打ち抜かれます。
この丸い状態を「円形(えんぎょう)」といい、さいたま支局には円形になったものが運ばれてきます。
さいたま支局で製造している通常貨幣は、100円貨と500円貨。
ここで作られる通常貨幣は、造幣局全体の製造量の約1割なのだそうです。
工場では円形に模様を打ち出す圧印機が並び、1台で1分間に約750枚という速さで貨幣が作られていました。
ガラス越しに見ていても、次々と貨幣が送り出されていきます。
ところがガイドさんによると、これらの機械が毎日動いているわけではなく、前日はすべて止まっていたとのこと。
「今日は動いていてよかったですね」と言われ、工場見学なのだから機械はいつも動いているものだと思っていた私は、ここでもひとつ「?」が増えました。
高速で次々と作られていく通常貨幣とは、製造方法が大きく異なるのがプルーフ貨幣です。
ピカピカならプルーフ貨幣……ではなかった
実は今回、前回の見学以来ずっと勘違いしていたことが判明しました。
以前訪れたとき、1円から500円まで6種類の硬貨が入った貨幣セットを購入しています。
額面を合計すれば666円ですが、販売価格はそれよりずっと高く、何より中の硬貨がピカピカ。
私はこれを、ずっとプルーフ貨幣だと思っていました。
今回も「前回来たときにプルーフ貨幣を買ったんです」と話していたのですが、しばらく黙って聞いていたガイドさんが、途中で「あ……」という表情に。
そして少し申し訳なさそうに、
「それはプルーフではないですね」と。
え?
では、あのピカピカの硬貨は何だったのでしょう。
聞けば、貨幣セットに入っていたのは通常と同じ方法で作られた未使用の硬貨。
「じゃあ、どうしてあんなにピカピカなんですか?」と聞くと、誰も触っていない新品だからなのだそうです。
ピカピカだからプルーフだと思っていたのに、違った……。
ここでようやく、通常の貨幣セットとプルーフ貨幣セットは別のものなのだと分かりました。
では、プルーフ貨幣は何が違う?
プルーフ貨幣は、収集用として表面に美しい光沢を持たせ、模様を鮮明に浮き出させた貨幣です。
工場を見てみると、先ほどまで1分間に約750枚という速さで作られていた通常貨幣とは、扱い方がまるで違いました。
まず、貨幣になる前の円形を、小さなステンレス球と研磨剤を使って時間をかけて磨きます。
この日は銀貨を磨いていて、研磨には1〜2時間ほどかかるとのことでした。
研磨を終えた円形は一枚ずつ数えられ、残った水分もタオルで一枚ずつ丁寧に拭き取られていきます。
もし一枚足りなければ、ステンレス球が大量に入った中から探さなければならないのだとか。
その後、模様を鮮明に浮き出させるため、2回の圧印が行われます。
作業は、ほこりによる小さな傷を防ぐためクリーンルームで行われ、完成した貨幣は最後に人の目でも一枚ずつ検査されます。
通常貨幣が1分間に約750枚なのに対し、プルーフ貨幣は1日に1,000〜2,000枚ほど。
同じ「貨幣を作る」でも、まるで別の製造現場でした。
記念貨幣ならプルーフ……でもなかった
これでようやく分かったと思ったところで、今度は展示されていた東京オリンピックの記念貨幣が気になりました。
実家を片づけたとき、同じ東京オリンピックの記念貨幣が出てきたことがあります。
ケースに入れて保管されていましたが、展示されているものほどピカピカではありません。
「うちにあったものと全然違うんですが、これはなぜですか?」
そこでまた一つ判明したのが、記念貨幣だからといって、すべてがプルーフ貨幣というわけではないことでした。
普段使っているデザインの貨幣にも通常仕上げとプルーフがあり、記念貨幣にも通常仕上げのものとプルーフがあります。
つまり、「何が描かれた貨幣なのか」と「どのように仕上げられた貨幣なのか」は別の話。
ここが分かるまで、私の中では「ピカピカの貨幣」「記念貨幣」「プルーフ貨幣」が、かなりごちゃごちゃになっていました。
同じ造幣局なのに、今度は職人の世界へ
通常貨幣とプルーフ貨幣だけでも製造方法は大きく違いましたが、さいたま支局ではさらに、勲章や褒章なども作られています。
通常貨幣は、機械から1分間に約750枚。
一方、プルーフ貨幣になると、一枚ずつ丁寧に扱われ、最後は人の目でも検査されます。
ところが勲章の製造現場へ来ると、一気に「職人の世界」になりました。
特に印象に残ったのが、色鮮やかな部分を作る七宝焼です。
釉薬をのせたものを約850℃の電気炉に入れ、職人さんが中の様子を見ながら焼き具合を判断します。
決められた時間になったら取り出して終わり、というものではありません。
さらに、やすりを使った細かな作業や研磨など、人の手による工程が続きます。
少し前まで、ガシャンガシャンと1分間に750枚もの貨幣が作られていたのに、同じ造幣局の中では、850℃の炉を職人さんが見つめながら仕上がりを判断しています。
作っているものが変わると、製造現場の景色もここまで変わるのかと驚きました。
貨幣や勲章を作る技術は、金属工芸品の製造にも生かされています。
館内には七宝を使った作品なども展示されていて、ここまで来ると「造幣局=硬貨を作るところ」という最初のイメージから、ずいぶん離れてきました。
もう一つ、さいたま支局で行われているのが、貴金属製品の品位証明です。
持ち込まれた貴金属製品を試験し、基準を満たしたものには品位を証明するマークが入れられます。
しかも扱っているのは造幣局が作ったものではなく、お客さんから預かった製品。傷をつけることも失敗することもできないため、製品に合わせて方法を選んで印を入れていくそうです。
戦争で、ついには「土のお金」まで作られた
博物館を回っていて、特に驚いたものの一つが「陶貨」でした。
戦争が長引くにつれて金属が不足し、貨幣に使われる材料も次々と変更されていきます。
そして終戦間際には、ついに金属ではなく陶器で貨幣を作る計画まで進められていました。
展示されていたのは、10銭、5銭、1銭の陶貨。
茶色っぽい小さな焼き物を目の前にしても、これがお金として作られたものだとは、なかなか結びつきません。
陶貨は実際に大量に製造されましたが、発行されないまま終戦を迎えます。
その多くは廃棄され、「幻の貨幣」となりました。
廃棄されたはずの陶貨が、約80年後に大量に見つかった
ところが、この話には続きがありました。
廃棄されたはずの陶貨が約80年後、当時製造に関わっていた京都の会社から、まとまって見つかったというのです。
その数を聞いて、さらにびっくり。
約50万枚もの1銭陶貨が、木箱に入った状態で残されていたそうです。
戦争末期に作られ、世の中に出ることのなかった貨幣が、製造に関わった会社で約80年間眠り続けていたことになります。
ガイドさんもぜひ紹介したかったというこの話。
見学もそろそろ2時間になろうとしていましたが、これは私も思わず食いついてしまいました。
朝鮮戦争で発行されなかった「10円洋銀貨」
戦争に翻弄された貨幣は、陶貨だけではありませんでした。
終戦後、新しい10円貨として作られたのが「10円洋銀貨」です。
銅、ニッケル、亜鉛を使った貨幣で、実際に製造まで始まっていました。
ところが朝鮮戦争が始まると、軍需物資としてニッケルの需要が高まり、使用が制限されます。
そのため10円洋銀貨は発行されることなく製造中止となり、こちらも「幻の貨幣」になりました。
その後登場したのが、平等院鳳凰堂が描かれた現在につながる10円貨です。
戦争で金属が足りなくなれば、貨幣の材料そのものが変わる。
新しい貨幣を作り始めても、国際情勢が変われば発行できなくなる。
展示されている貨幣を見ているうちに、貨幣は単なるお金ではなく、その時代の社会事情をそのまま映しているように思えてきました。
硬貨の製造枚数にも、その時代が表れていた
貨幣が社会情勢に左右されるのは、戦争のときだけではありません。
館内にあった貨幣の製造枚数のグラフを見ると、時代によって大きく増えたり減ったりしていました。
製造枚数が最も多かったのは1974(昭和49)年で、約56億枚。
高度経済成長とともに、自動販売機や券売機、公衆電話など、硬貨を使う機会が増えていった時代です。
その後も、消費税が導入された頃には1円貨や5円貨の需要が増えるなど、私たちの暮らしの変化が貨幣の製造枚数にも表れていました。
そして現在はキャッシュレス化が進み、硬貨を使う機会そのものが減っています。
ピークだった1974(昭和49)年の約56億枚に対し、2025(令和7)年は約6億枚。
単純に比べても、現在はピーク時の1割ほどです。
ここで思い出したのが、工場を見学したときに聞いた「昨日は機械がすべて止まっていました」という話です。
硬貨は一度作れば30〜40年ほど使えるため、毎日同じ枚数を作り続ける必要はありません。
必要な貨幣の種類や枚数は、その時々の社会や需要によって変わります。
最初は、造幣局なのに機械が動かない日もあることを不思議に思いましたが、ここまで話を聞いてようやく納得しました。
この日、100円貨や500円貨が次々と作られているところを見ることができたのは、やはりラッキーだったようです。
博物館には、大量の硬貨が入った袋を持ち上げて、その重さを体感できるコーナーもありました。
10円貨4,000枚が入った袋は、重さ18kg。
ガイドさんによると、見学者はみなさん持ち上げてみるそうですが、私は数か月前に腰を痛めたばかりなので、今回は見るだけにしました。
手持ちの硬貨を入れると、重さや厚さなどを測って「健康診断」をしてくれる機械もありました。
私も2枚試してみましたが、診断結果はどちらも「健康です」。
長いあいだ世の中を巡ってきた硬貨には、「働きすぎです」と出ることもあるそうです。
前回訪れたときは、きれいな貨幣を眺め、工場を見てもよく分からないまま帰ってきた造幣局。
今回はガイドさんに案内していただき、「これはなぜ?」「では、こっちは?」と聞きながら歩いたことで、前回はバラバラに見えていたものが少しずつつながっていきました。
見学の最初に見た映像では、信頼できる貨幣を作ることは、国や経済への信頼にもつながるという話がありました。
1分間に約750枚作られる通常貨幣にも、時間をかけて磨かれるプルーフ貨幣にも、職人さんが仕上がりを見極める勲章にも、それぞれ違う技術が使われています。
そして貨幣そのものも、戦争や経済、私たちの暮らしの変化に合わせて、材料や姿、作られる枚数まで変わってきました。
約2時間の見学を終えてみると、ここは単に「硬貨を作る工場」ではなく、思っていた以上に「社会」が見える場所でした。











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