2026年10月28日、東京文化財ウィークの特別公開に合わせて、東京都調布市の白百合女子大学にある「めぐみ荘(旧菊池家住宅主屋)」を見学しました。
めぐみ荘は、もともと静岡県伊豆市の修善寺にあった旧名主・菊池家の住宅です。1935年に津村順天堂の薬用植物園へ移築され、その後、白百合女子大学の施設として受け継がれました。2014年には国の登録有形文化財となっています。
今回の公開では、かつての土間に残る太い柱や梁組み、襖を開け放した座敷、欄間の意匠、式台の名残、庭に面した広縁などを見学できました。
白百合女子大学めぐみ荘へ
大学の最寄り駅は京王線の仙川駅で、徒歩約10分です。 めぐみ荘の見学入口は、教会のある正門よりさらに先へ進んだ東門でした。 ところが、私は間違えて西門へ向かってしまい、結果的に大学の敷地を一周するようなことになりました。
東門から構内に入り、めぐみ荘へ向かいました。 建物の前には白砂利を敷いた庭が広がり、飛び石や庭木が配置されています。 大きな瓦屋根の上には、小さな屋根を載せたような越屋根も見えました。
修善寺の旧名主・菊池家住宅が東京へ移築されるまで
めぐみ荘は、もともと伊豆の修善寺熊坂にあった旧名主・菊池家の主屋です。 かつては狩野川の左岸に建ち、川を望むことのできる場所にありました。
建築年代を特定する資料は残されていませんが、江戸時代後期から明治時代前期の建築と推定されています。 文化庁の登録情報では、明治初期の建物として扱われています。
旧菊池家住宅の屋敷前には石橋が架かり、その先には名主の家格を示す長屋門が建っていました。 現地の説明パネルには、移築前の住宅と門の写真も展示されていました。
当時の門柱は現在も修善寺に残されています。 狩野川台風で被害を受け、半分ほどに折れた状態で発見されたため、現在は庭に移されているそうです。
名主の住宅でありながら、上座敷を備えた格式の高い造りで、修善寺を訪れた役人の接待にも使われていました。
1933年頃、津村順天堂の創業者・津村重舎が菊池家の住宅を譲り受けました。 津村順天堂は、現在の株式会社ツムラにつながる製薬会社です。
建物は1935年、東京府北多摩郡神代村にあった津村薬用植物園へ移築されました。
現地の説明パネルによると、移築の際には建物をできるだけ元の姿で保存するため、解体した材料をトラック40数台で運搬したとされています。
パンフレットにも、移築時には屋根の一部を除き、解体した建物の材料をできるだけ再利用したと記されています。
津村薬用植物園で迎賓施設として使われた歴史
移築された旧菊池家住宅は、津村薬用植物園を訪れる人々を迎える施設として利用されました。
津村薬用植物園は、漢方生薬の研究や栽培のために1924年に開設された施設です。 当初は約3,600坪でしたが、その後規模を拡大し、終戦時には約23万坪に及ぶ薬用植物園となっていました。
津村重舎は茶事にも関心が深く、建物では裏千家宗家や政財界の関係者を招いた茶会が開かれました。 また、宮家の植物園視察の際には休憩所としても使用されました。
パンフレットによると、第二次世界大戦中には杉山元ら少数の首脳部による秘密会議にも利用されたと伝えられています。
戦後、薬用植物園は農地解放などによって津村家の手を離れ、1955年には帝国石油の保養施設となりました。
その後、1965年に白百合女子大学が土地を購入し、翌1966年に大学が九段から仙川へ移転しました。
建物は大学創設への感謝の気持ちを込めて「めぐみ荘」と名付けられ、大学の最初の教授会もここで開かれたことが記録されています。
当初のめぐみ荘は大学のテニスコート脇にありましたが、校舎の建築に伴って現在の位置へ移されました。
現在も茶道部や生け花などの活動、学会や卒業生のクラス会などに利用されています。
2014年4月25日には、「白百合女子大学めぐみ荘(旧菊池家住宅主屋)」として国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
旧土間に残る大黒柱と太い梁組み
今回の見学では、建物の旧土間にあたる玄関ホールから内部へ入りました。 現在は床の一部が板張りになっていますが、かつては広い土間があり、その裏側には穀櫃(こくびつ)が置かれ、脇には大釜や竈(へっつい)が設けられていたそうです。
ここで目を引いたのが、天井を支える太い柱と梁です。 柱には「上大黒」と書かれた札が付けられていました。
見上げると、太い梁が何本も組み合わされ、その上には屋根を支える小屋組みが見えます。
パンフレットには、梁の上に米俵を載せても下から見えないほど太い部材が使われていると説明されていました。 実際に見上げると、木材の大きさがよくわかります。
屋根には、通風や採光のための越屋根が設けられています。 外観から見えた越屋根と、内部の大きな梁組みは、この建物の特徴的な部分です。
旧土間に隣接する茶の間には、「押板(おしいた)」と呼ばれる古い形式の座敷飾りも残されていました。 押板は床の間の原型とされるもので、壁際に板を設け、絵画や調度品などを飾るために使われたものです。
見学時には押板の上に資料が置かれており、最初は何のための場所なのかわかりませんでしたが、現地の説明パネルでその役割を知りました。
番頭部屋から中の間、下座敷、上座敷へ続く和室
旧菊池家住宅は、六ツ間取りを基本とする大型の民家でした。 今回の見学では、旧土間から板の間を経て、畳敷きの座敷を見学しました。
公開されていた4部屋は襖が開け放たれ、奥まで見通せる状態になっていました。
玄関ホールから上がって最初の和室は「番頭部屋」です。 かつて主人と番頭が事務を行っていた部屋と説明されていました。
その先には「中の間」があり、さらに「下座敷」、奥の「上座敷」へと続いています。 一続きになった畳の部屋は、襖を閉めればそれぞれ独立した空間として使える造りです。
3つ目の和室「下座敷」からは、さらに奥にある上座敷の方向を眺めることができました。
上座敷は、床の間や違い棚、書院を備えた格式の高い座敷で、かつては巡察に訪れた役人の接待に使われていたそうです。
座敷で特に目を引いたのは、欄間の意匠です。 細かな幾何学模様を組み合わせた欄間と、細い格子を並べた欄間があり、異なる意匠を見比べることができました。
天井には木の板が張られ、柱や鴨居などの木材とともに、落ち着いた和室の空間をつくっています。
かつての正式な玄関「式台」の名残
建物内部には、かつて設けられていた式台についての説明パネルもありました。
現在の見学入口は、もともと家の人々が日常的に使用していた「大戸」にあたる入口で、正式な玄関ではなかったそうです。
かつては中の間の手前に、客人を迎えるための式台を備えた正式な玄関が設けられていました。
式台は、格式のある住宅で来客を迎えるために設けられた、床より一段低い板敷きの部分です。
説明パネルには、以前の式台の写真と、現在残っている部分が示されていました。 その説明を見たあと、実際に残る木製の部材を確認しました。
建物の用途や玄関の位置が変わっても、こうした痕跡から、かつての住宅の姿を知ることができます。
庭を眺める広縁と白砂利の前庭
座敷の庭側には、長い広縁が設けられています。 今回見学した奥の座敷から上座敷にかけて、庭に面した廊下が続いていました。
広縁には大きなガラス戸が並び、外の庭を眺めることができます。 室内には籐製の椅子とテーブルが置かれていました。
広縁の天井にも木材が使われ、座敷とは異なる開放的な空間になっています。 この日は天気がよく、ガラス戸から日差しが差し込んでいました。
建物の前には白砂利を敷いた庭が広がっています。 庭には飛び石が配置され、松などの庭木が植えられていました。
庭から建物を眺めると、長く続く瓦屋根と広縁、その上に設けられた越屋根がよくわかります。










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