松阪と聞くと、まず思い浮かぶのは松阪牛かもしれません。
私自身も、30年ほど前に伊勢志摩を旅行した際、松阪で牛銀に立ち寄った記憶がありました。けれど今回は、松阪牛だけでなく、町そのものを歩いてみたくなり、松阪駅から徒歩で一日散策することにしました。
訪れる前は、正直なところ松坂城跡くらいしか見どころを知らなかった松阪。ところが実際に歩いてみると、想像以上に立派な石垣が残る城跡、本居宣長ゆかりの地、今も暮らしが息づく御城番屋敷、そして江戸から現代へ続く豪商文化に出会うことができました。
松阪牛だけじゃなかった――。そんな驚きが残った、松阪の町歩きの記録です。
松阪牛だけじゃない松阪の町を歩いてみたくて
2026年3月下旬。ふらりと松阪の町並みを歩いてみたくなり、三重県松阪市を訪れました。
松阪と聞いてまず思い浮かぶのは、やはり松阪牛。私自身も30年ほど前、夫と伊勢志摩を旅行した際に、ランチで牛銀に立ち寄ったことがありました。
けれど今回、なぜか急に「松阪の町を歩いてみたい」と思ったのです。松阪牛以外にも、何か魅力がありそう。そんなぼんやりとした気持ちから始まった、気ままな日帰り散策でした。
松坂城跡へ|予想を大きく超えた立派な石垣
松阪駅から歩いて、まず向かったのは松坂城跡です。
正直なところ、訪れる前は「城跡だから少し石垣が残っているくらいだろう」と思っていました。松阪は有名な観光地という印象もそれほど強くなく、松坂城跡についても、そこまで大きな期待をしていたわけではありません。
ところが、実際に歩いてみると、その印象は最初の数分で覆されました。
高く積まれた石垣、幾重にも重なるような城跡の構造、カーブを描くように続く道。歩き始めてまもないのに、「これは来てよかった」と感じるほど、見応えのある城跡でした。
朝早い時間だったこともあり、公園を管理されている方や、犬の散歩をする近所の方の姿があるくらいで、観光客らしい人はまばら。静かな空気の中で、石垣に囲まれた道をゆっくり歩くことができました。
二の丸、本丸下段、本丸上段、そして天守跡へ。想像していた以上に城内は広く、あちこち歩いているうちに、かつてはかなり立派な城だったのだろうと想像が膨らみます。
一方で、石垣の上には柵のない場所もありました。高い場所を歩く気持ちよさがある反面、「ここを歩いていいんですか?」と思うような緊張感もあります。下から見上げるよりも、石垣の上を歩いたときの方が、その高さをより実感しました。
松坂城跡は、城の建物こそ残っていませんが、この立派な石垣こそが大きな魅力なのだと感じました。
城跡から見下ろす御城番屋敷の町並み
松坂城跡の石垣の上からは、御城番屋敷の町並みを見下ろすことができます。
朝早い時間だったため、通りにはほとんど人影がありません。石畳の道の両側に、槇垣をめぐらせた武家屋敷が整然と並ぶ景色が見えました。
その眺めを見ていて、ふと福島県の大内宿を展望台から眺めたときのことを思い出しました。
茅葺き屋根の宿場町である大内宿と、背の高い垣根に囲まれた御城番屋敷。雰囲気はまったく違うはずなのに、一本の道に沿って家並みがまっすぐに並ぶ景色を高い場所から眺めた印象が、どこか重なって見えたのかもしれません。
本居宣長ゆかりの地へ|鈴屋と記念館を訪ねる
松坂城跡を歩いている途中、本居宣長旧宅「鈴屋」の入口がとても趣のある雰囲気だったので、立ち寄ってみることにしました。
本居宣長といえば、教科書に出てくる国学者という印象が強く、正直なところ、そこまで身近に感じていた人物ではありませんでした。
けれど、鈴屋を見学していると、その印象が少し変わりました。
本居宣長の本職が医師だったこと。そして、勉強に疲れたときに鳴らす鈴を掛けていたことから、書斎を「鈴屋」と呼んでいたこと。そんなエピソードを知ると、急に親しみが湧いてきます。
私も鈴の音が好きで、部屋のドアノブに鈴を掛けています。もちろん本居宣長と比べるような話ではありませんが、「鈴が好き」という小さな共通点を見つけたようで、少し嬉しくなりました。
移築された建物とはいえ、300年以上の時を経た旧宅が今も大切に残されていることにも驚きます。地元の方々に大切に守られてきた場所なのだと感じました。
その後、本居宣長記念館を見学し、本居宣長ノ宮と松阪神社へも足を延ばしました。もともと立ち寄る予定ではなかったのですが、入口が森のような雰囲気に包まれていて、気づけば吸い込まれるように階段を上っていました。
御城番屋敷と殿町を歩く|今も暮らしが息づく武家屋敷
少し遠回りをしながら、ようやく御城番屋敷へ向かいました。
松坂城跡から見下ろしていた町並みを、今度は実際に歩いていきます。少しずつ観光客の姿も増えてきていましたが、それでも人通りは多くなく、落ち着いた雰囲気でした。
御城番屋敷で驚いたのは、この美しい町並みが単なる観光施設ではないことです。
往時の面影を残す武家屋敷の一部は公開されていますが、現在も子孫の方々によって維持管理され、住まいとして使われている家もあるそうです。
観光地として保存されているだけでなく、そこに人の暮らしが続いている。そのことを知ると、町並みの見え方が少し変わりました。
殿町から原田二郎旧宅へ向かう途中の道にも、昔の面影を残す武家屋敷や生垣が点在しています。ここが城を警護する武士団の町だったのだと感じさせられる道でした。
原田二郎旧宅は、質実剛健な武家らしさを感じる落ち着いた建物です。中でも印象に残ったのは、城跡の石垣を望む2階の丸窓でした。
あとでその窓が「悟りの窓」と呼ばれていることを知り、詳しいことは分からないながらも、妙に納得してしまいました。
松阪市立歴史民俗資料館で知る松阪木綿
再び松坂城跡の方へ戻り、松阪市立歴史民俗資料館にも立ち寄りました。
明治44年に建てられた図書館を改装した建物とのことですが、立派な日本家屋のような外観で、昔の図書館がこのような建物だったことが少し意外でした。
ここで、松坂城跡が日本100名城のひとつであることを知りました。城の建物は残っていなくても、あれほど立派な石垣を見たあとだったので、妙に納得です。
資料館では、松阪木綿にも心を惹かれました。
藍色の糸で織り上げた縞模様は、今見ても粋な雰囲気があります。その松阪木綿が江戸で大流行し、松阪の繁栄を支えていたことを知りました。
松阪の繁栄を支えていたのは、松阪牛ではなく松阪木綿だったのだと知り、思わず「そうだったのか」と驚きました。
松阪肉の肉うどんで昼食|牛銀は大行列、青柳へ
歩き回ってお腹も空いてきたので、昼食は久しぶりに牛銀へ行ってみようと思っていました。
30年ほど前、夫と伊勢志摩を旅行したときに立ち寄った思い出のあるお店です。せっかく松阪に来たのだから再訪したいと思って向かったのですが、11時半前にもかかわらず、すでに行列ができていました。
駐車場に停めた車の中で待っている人の姿もあり、これは今日は難しそうだと判断。
そこで、来る途中に見かけた角のうどん屋さんへ入ることにしました。松阪肉 肉うどん専門店 青柳です。
入ってから知ったのですが、青柳は牛銀の系列店とのこと。牛銀には入れなかったものの、思いがけず系列店で松阪肉を味わうことができました。
出てきた肉うどんは、リーズナブルながらとても美味しく、大満足の昼食になりました。予定通りではないけれど、こういう偶然も旅の楽しさだと思います。
旧長谷川治郎兵衛家へ|江戸と松阪をつないだ豪商の町
昼食のあとは、旧長谷川治郎兵衛家へ向かいました。
入口ではガイドの方が簡単に説明をしてくださいました。間口は約10メートル、奥行きは約100メートルもあったそうで、現在残っている敷地だけでも十分に広く、屋敷と庭を見ただけで豪商の家だったことが伝わってきます。
旧長谷川家は、三井家・小津家・長井家などとともに、松阪を代表する江戸店持ちの豪商のひとつだったそうです。
特に印象に残ったのは、ガイドさんが歌川広重の「東都大伝馬街繁栄之図」を見せながら説明してくださったことでした。
江戸時代の大伝馬町、現在の東京・日本橋周辺を描いた浮世絵ですが、通りには「長谷川」の暖簾が並び、奥には「小津」の家印も見えます。
ガイドさんのお話を聞きながらその絵を眺めていると、つい先ほどまで歩いていた松阪の豪商たちが、江戸の中心で商いをしていたことが一枚の絵から実感として伝わってきました。
松阪木綿が江戸で流行したという説明を読んだだけでは、まだ知識として受け止めていたのだと思います。けれど、浮世絵の中に長谷川や小津の名前を見つけた瞬間、松阪と江戸が一本の線でつながりました。
あまりに印象に残り、この浮世絵のクリアファイルまで購入してしまいました。
屋敷の中も見応えがあります。大正座敷の欄間はとても繊細で、同じ素材の木で作られているにもかかわらず、角度や光の当たり方によって色が変わって見えるという不思議なものでした。
回遊式庭園も美しく、紅葉の時期はきっとさらに見事だろうと思います。途中で土地を買い足して庭を造った名残も残されていて、屋敷の広さだけでなく、長い時間をかけて受け継がれてきた家の歴史を感じました。
旧小津清左衛門家へ|日本橋の小津和紙につながる場所
続いて、旧小津清左衛門家へ向かいました。
ここは、紙と木綿の商いで大きな成功を収めた松阪商人・小津清左衛門の旧宅です。そして、その流れは現在も日本橋で営業を続ける小津和紙へとつながっています。
日本橋の小津和紙が、松阪を原点としていたことを私は知りませんでした。
東京で見知っている名前が、ここ松阪につながっている。その意外性に、またしても「へぇ」と驚かされます。
建物は外観から想像する以上に中が広く、土間の天井も高くて開放感がありました。紐を使って天窓を開け閉めできる仕組みも残されていて、商家としての機能美を感じます。
豪商らしい展示として印象的だったのが、万両箱です。千両箱が10個も入る箱が地中に埋められていたものだそうで、その規模に驚きました。
内蔵展示室では、大正時代に作られた日本の長者番付「大日本資産家一覧鑑」に目を奪われました。
横綱には三井家や岩崎家の名前があり、小津清左衛門、長谷川治郎兵衛、原田二郎など、松阪にゆかりのある名前も多く掲載されています。
江戸時代に栄えたというだけでなく、大正時代にもまだその名が資産家一覧に載るほどの存在だったこと。今の松阪の静かな町並みからは想像しにくいほど、大きな繁栄がここにあったのだと感じました。
さらに驚いたのは、長谷川家も小津家も、主人が江戸の店に常駐していたわけではなく、松阪に暮らしながら手紙で経営方針を伝え、店の運営は従業員に任せていたということです。
江戸で稼いだお金が松阪へ送られ、松阪の町の繁栄につながっていく。その仕組みを知ると、松阪という町の見方が大きく変わっていきました。
三井家発祥地へ|あの三井も松阪から
最後に、三井家発祥地にも立ち寄りました。
こちらは門が閉まっていて、中に入ることはできませんでした。門とその横にある説明を見学するだけに留まりましたが、この地が三井家の霊廟になっていることを知りました。
三井家もまた、松阪を発祥とする家です。
松阪の商人が江戸で呉服商として成功し、その後、時代を越えて日本の近代化や産業の発展にも関わっていく。そう考えると、「松阪出身の豪商」という言葉だけでは収まりきらない広がりを感じます。
小津和紙だけでなく、あの三井も松阪から始まった。
江戸時代の商いが、形を変えながら現代の日本へとつながっている。そのことに、あらためて驚かされました。
松阪を歩いて感じたこと
なんとなく「松阪の町並みを歩いてみたい」と思って訪れた一日でした。
最初は、松阪といえば松阪牛という印象が強く、正直なところ、町歩きにそこまで大きな期待をしていたわけではありません。
けれど実際に歩いてみると、予想を大きく超える立派な石垣が残る松坂城跡があり、本居宣長ゆかりの場所があり、今も暮らしが続く御城番屋敷がありました。
そして後半では、松阪木綿によって栄えた商人の町としての松阪に出会いました。
長谷川家や小津家、三井家。江戸で商いを広げた松阪商人たちの足跡は、ガイドさんが見せてくださった歌川広重の「東都大伝馬街繁栄之図」にも描かれていました。
さらに、大正時代の『大日本資産家一覧鑑』には、松阪ゆかりの豪商たちの名前が数多く並んでいます。江戸時代に栄えた商いが一時の繁栄ではなく、小津和紙や三井のように現代へと受け継がれていることにも驚かされました。
江戸時代の商いが、その後の日本の近代化や産業の発展にもつながっていったことを思うと、松阪という町の見方がすっかり変わりました。
松阪の町を歩いて印象に残ったのは、江戸時代の歴史が単に展示物として残っていることではありませんでした。
町並み、建物、商い、文化、そして企業の歴史が、形を変えながら今へと受け継がれていること。そのつながりに気づけたことが、この旅の一番の発見だったように思います。
松阪牛だけじゃなかった。
帰る頃には、松阪は「松阪牛の町」だけではなく、江戸から現代へ続く歴史と商人文化の町として、私の中に強く残る場所になっていました。









町歩きの途中で目を引いた、三重県立松阪工業高等学校の赤壁校舎















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