2026年8月。高岡にある国宝・瑞龍寺を、久しぶりに訪れました。
総門から山門、仏殿、法堂へと続く伽藍を歩いていると、あちらこちらで目に入る前田家の梅鉢紋。47トンもの鉛瓦を載せた仏殿や、前田利長公の位牌、狩野安信による「四季の百花草」など、以前の訪問では気づかなかったものにも次々と出会いました。
中でも心に残ったのが、北回廊の屋根に使われる杮板(こけらいた)の御志納です。
一枚の杉板に願い事と名前を書いて納め、その板がいつか瑞龍寺の屋根の一部になると思うと、文化財を「見る」だけではない、少し特別な参拝になりました。
真夏の朝、開門に合わせて瑞龍寺へ
この日は新高岡駅から瑞龍寺へ向かいました。
歩いても15分ほどの距離ですが、朝から厳しい暑さ。これから境内を歩くことを考え、少しでも体力を温存しようとバスを利用しました。
瑞龍寺口でバスを降り、石畳の道を歩いて瑞龍寺へ。
到着したのは午前9時前。ちょうどお寺の方が門を開け、参拝客を迎える準備をしているところでした。
この暑さなら朝一番はまだ人も少ないだろうと思い、開門に合わせて訪れたのですが、すでに10人ほどが待っていました。
受付では、御朱印をいただく方が参拝前に御朱印帳を預けている姿も数名見かけました。
受付を済ませ、まずは重要文化財に指定されている総門へ向かいます。
総門から始まる前田家の梅鉢紋と、少し不思議な伽藍配置図
総門へ向かう途中、左手に大きな鬼瓦が置かれていました。
かつて法堂の屋根に使われていたものだそうで、近くで見ると想像以上の大きさ。その中央には、金色の梅鉢紋が輝いています。
これほど大きく、見るからに重そうなものが屋根の上に載っていたのかと思うと驚きました。
普段はお寺の屋根を下から見上げても、瓦一つひとつの大きさまで意識することはありません。こうして間近で見ると、大きな屋根を支える寺院建築の造りにまで目が向きます。
さらに総門の横で目を引いたのが、「瑞龍寺伽藍配置図」と並んで描かれた人体の図でした。
これは禅宗寺院の伽藍を人体になぞらえた「禅宗七堂伽藍人体表相図」。
「ん?」と立ち止まってしまうような、なんともいえず少しシュールな絵です。
そして総門を見ると、ここにも木でつくられた梅鉢紋がいくつも並んでいました。
瑞龍寺は、加賀藩二代藩主・前田利長公の菩提を弔うため、三代藩主・前田利常によって建立された曹洞宗の寺院です。入口からこれだけ梅鉢紋が目に入ると、ここが前田家ゆかりの寺であることを強く感じます。
総門の正面に立つと、その向こうには国宝の山門。
総門がまるで額縁のようになり、その中に大きな山門がすっぽりと収まっていました。
総門をくぐると、国宝の山門がどど〜ん
総門をくぐると、それまで門越しに見えていた山門が一気に目の前に現れました。
左右に大きく広がる砂利の向こうに、どど〜んと構える二層の山門。近づいていくにつれてその大きさが際立ち、見上げるほどの迫力があります。
瑞龍寺では、山門・仏殿・法堂の3棟が国宝に指定されています。
重要文化財の総門から入り、最初に正面から向き合う国宝がこの山門です。
山門の左右からは長い回廊が伸びています。
総門のそばで見た「禅宗七堂伽藍人体表相図」では少し不思議に見えた伽藍の配置が、実際の建物として少しずつ目の前に現れてきました。
山門の先に広がる芝生と、国宝の仏殿
山門をくぐると、今度は景色が大きく開けます。
正面には国宝の仏殿。その左右には、まるでゴルフ場のようにきれいに整えられた芝生が広がっていました。
中央の石畳は仏殿へ向かってまっすぐに伸び、右を見れば重要文化財の大庫裏、左には同じく重要文化財の禅堂。さらにそれぞれの建物を回廊がつないでいます。
以前訪れたときにも、瑞龍寺の伽藍は整然として美しいと感じました。
今回あらためて歩いてみると、総門から山門、仏殿、そしてその奥の法堂へと続く建物と、左右に配置された堂宇、その間に大きく取られた緑の空間が、その印象をつくっているのだと分かりました。
47トンの鉛瓦を載せた国宝・仏殿
芝生の間をまっすぐ進み、国宝の仏殿へ。
内部に入ってまず目を引いたのは、太い柱と頭上に複雑に組まれた木組みでした。外から大きな屋根を眺めるのとはまた違い、その屋根を内側から支える構造を見上げると、建物そのものの力強さを感じます。
そしてここでも、前田家の梅鉢紋を発見。
仏殿の香炉にも金色の梅鉢紋があり、総門へ向かう途中の鬼瓦、総門に続いて、また前田家の紋に出会いました。
さらに驚いたのが、仏殿の屋根に使われている鉛瓦です。
現地の案内によると、その総重量は約47トン。いくさが始まれば鉛瓦を溶かし、鉄砲の弾にできるようにしたともいわれているそうです。
端正で美しい国宝建築として眺めていた仏殿ですが、そんな話を知ると、加賀前田家が築いた寺院という別の一面まで想像したくなります。
前田利長公の位牌が安置された国宝・法堂
仏殿のさらに奥に建つのが、同じく国宝に指定されている法堂です。
大きな屋根をもつ堂々とした外観ですが、中へ入ると仏殿とは雰囲気が一変。畳や障子、襖のある空間が広がり、部屋から部屋へと歩いていきます。
法堂には前田利長公の位牌が安置されています。
瑞龍寺という寺名も、利長公の戒名「瑞龍院殿聖山英賢大居士」に由来するもの。境内に入ってから何度も目にしてきた梅鉢紋も、ここまで来ると改めて、瑞龍寺が利長公の菩提を弔うために建立された寺であることを感じさせます。
法堂で特に印象に残ったのが、天井に描かれた狩野安信作の「四季の百花草」です。
格天井を見上げると、一つひとつの区画に草花が描かれていました。
お寺の天井画というと、多少色が薄れていても、かつては鮮やかだったのだろうと思わせるものや、華やかで豪華なものを目にすることが多かった私には、この天井画は少し意外でした。
色合いは落ち着き、描かれた草花もどこか素朴。華やかさで圧倒するというより、長い年月を重ねた静かな美しさがあり、眺めていると侘び寂びにも通じるものを感じました。
般若の間には烏瑟沙摩明王が安置されていました。
その前にも梅鉢紋があり、ここでもまた前田家の紋を発見。大きな鬼瓦や総門だけでなく、堂内を歩いていてもあちらこちらに梅鉢紋が現れます。
大茶堂でも見つけた梅鉢紋と、なでぼとけ
法堂から回廊を進むと、重要文化財の大茶堂があります。
畳敷きの広間は装飾を抑えた落ち着いた空間ですが、襖の引手をよく見ると、ここにも前田家の梅鉢紋がありました。
鬼瓦、総門、仏殿、法堂と歩いてきて、今度はこんな小さな金具にまで梅鉢紋。
探して歩いていたわけではないのですが、気がつけば境内のあちらこちらで前田家の家紋を見つけていました。
大茶堂の隣にある鐘楼には、「なでぼとけ」が安置されています。
自分の体の気になるところと同じ場所を撫でるとよいそうで、手の届かないところには、そばに置かれた先端に丸い玉のついた棒を使って触れることもできます。
もちろん私も撫でてきました。
選んだのは頭。「いつまでもボケませんように」と、しっかり撫で撫でしておきました。
一枚の杮板を納めて、瑞龍寺の未来に少し参加する
法堂から北回廊へ向かう途中、「杮板(こけらいた)御志納のお願い」という案内が目に留まりました。
瑞龍寺では、総門・山門・禅堂・大庫裏・回廊などの屋根に杮葺きが使われています。
2012年から順次葺き替え修理が進められてきましたが、北回廊の修理がまだ残っていることから、その屋根に使う杮板の志納を募っているとのことでした。
案内によると、杮板は杉を長さ約30cm、厚さ約3mmに割り裂いたもの。
職人さんが一枚ずつ3cmほどずらしながら重ね、竹釘で留めていきます。
北回廊の屋根に必要な杮板は、約191,000枚。
目の前にある薄い杉板を一枚一枚並べて、この長い回廊の屋根をつくっていくのかと思うと、本当に気の遠くなるような作業です。
私もこの取り組みに賛同し、一口1,000円を納めて杮板を一枚手に取りました。
板には願い事と住所、名前を書いて納めます。
手にしてみれば、ほんの一枚の薄い杉板です。
それでも、いつかこの一枚が北回廊の屋根のどこかに使われ、瑞龍寺を守る約19万1,000枚のうちの一枚になる。そう思うと、少しうれしくなりました。
国宝や重要文化財というと、長い歴史を経て今に残されたものを「見る」側になりがちです。
けれど今回は、小さな一枚ではあっても、この先の瑞龍寺を残していくことにほんの少し参加できたような気がしました。
杮板を納めたあと、北回廊を歩く
杮板を納めたあと、その板が使われる北回廊を歩きました。
木の床がまっすぐ奥へと続き、障子から差し込む光が静かな回廊に落ちています。
先ほど手にした一枚の杮板も、いつかこの長い屋根のどこかに使われるのだと思うと、歩きながらつい頭上へ意識が向きました。
どこに使われるのかはもちろん分かりません。それでも、この屋根の中に自分が名前と願いを書いた一枚が加わると思うと、回廊が少し身近なものに感じられます。
回廊を歩いていくと、これまで正面から見ていた仏殿や法堂、山門が次々と違う角度から見えてきます。
総門から山門、仏殿、法堂へと一直線に続く伽藍。その左右に禅堂や大庫裏があり、それぞれを長い回廊が結んでいます。
境内に入る前に見た「禅宗七堂伽藍人体表相図」は、最初は少し不思議で、どこかシュールにも見えました。
けれど実際に堂宇を巡り、最後に回廊を歩いてみると、それぞれの建物がつながって一つの伽藍を形づくっていることが、少しずつ実感として見えてきました。
一つひとつ足を止めながら見て回っているうちに、気づけば瑞龍寺に入ってから2時間近くが経っていました。
遠い未来、この一枚も瑞龍寺の歴史になるのだろうか
回廊を巡り、最後にもう一度境内から山門を眺めました。
朝、総門をくぐったときには目の前に大きくそびえていた山門も、参拝を終えて振り返ると、どこか違って見えます。
そして帰りながら、先ほど納めた一枚の杮板のことを考えていました。
これから北回廊の屋根の一部となり、長い年月、瑞龍寺を守っていく一枚。
いつか遠い未来に再び屋根を葺き替える日が来たとき、名前や願い事が書かれたたくさんの杮板は、どのように扱われるのでしょう。
もしかすると、その時代を生きた人々の思いを残すものとして見られることもあるのかもしれません。
その中に、2026年の夏に私が名前と願いを書いた一枚もある――そんな遠い未来まで想像すると、たった一枚の小さな杮板に、なんだかロマンを感じました。


























🏯 高岡に残る、もう一つの国宝寺院へ
瑞龍寺と同じ高岡市には、前田家と深い関わりを持つ国宝・勝興寺があります。瑞龍寺とはまた異なる伽藍や建築を歩いた記録です。


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