2026年4月。長野県岡谷市にある岡谷蚕糸博物館(シルクファクトおかや)で開催されている企画展「製糸業と味噌醸造業」の関連イベントに参加しました。
今回申し込んだのは、「松亀味噌工場見学〜製糸工場跡地と現在の味噌醸造を見学しよう〜」という約2時間のプログラムです。
製糸の町として知られる岡谷で、なぜ味噌なのか。
展示で学んだ歴史と、実際の工場見学を通して、そのつながりを辿る時間となりました。
シルクファクトへ向かう途中で立ち寄った丸山タンク
この日は岡谷蚕糸博物館(シルクファクトおかや)へ歩いて向かう途中、以前は雪で近づけなかった丸山タンクにも立ち寄りました。
製糸の町としての岡谷の面影が、こうした場所にも残っていることを感じながら、見学へと向かいました。
製糸と味噌を結ぶ企画展と見学イベント
2026年4月。長野県岡谷市にあるシルクファクトおかやで開催されている企画展「製糸業と味噌醸造業」の関連イベントに参加しました。
今回申し込んだのは、「松亀味噌工場見学〜製糸工場跡地と現在の味噌醸造を見学しよう〜」という約2時間のプログラムです。
前半はシルクファクト内の展示を学芸員の解説付きで見学し、後半は実際の味噌工場へと移動する構成になっていました。
製糸の町として知られる岡谷で、なぜ味噌なのか。そのつながりを辿ることができる内容です。
シルクファクトで学ぶ、製糸の町・岡谷
イベントの前半1時間は、シルクファクト内の展示を巡りながら学芸員の方の説明を聞きます。
岡谷は「糸都(しと)」と呼ばれるほど製糸業が盛んだった地域で、最盛期には日本の生糸輸出の約半分を占めていました。
市内には多くの製糸工場が立ち並び、人口の半数が工女だったとも言われています。
「食べる味噌汁」と工女たちの食事
当時の味噌汁は、今のように汁を味わうものではなく、「食べる味噌汁」だったそうです。
大正15年から昭和2年頃の献立では、汁物として1人あたり15gの味噌が使われ、
一度の食事で味噌約4.5kg、大根10kg、豆腐15丁(当時は1丁約500g)という量が用意されていました。
ご飯、味噌汁、お漬物が基本で、昼食には魚やコンビーフなどが出ることもあり、当時としてはしっかりとした食事が用意されていたようです。
また、工場内は蒸気が多く湿気もあったことや、漆器が高価だったことから、食器は味噌汁椀も含めて陶器が使われていました。
工場には繭を煮るための大きな釜があり、その設備を活用して大豆を煮て味噌を仕込んでいたとのこと。
製糸の休業期間にあたる5月後半からの時期に、こうした味噌づくりが行われていました。
製糸業の衰退と、味噌醸造への転換
しかし、世界恐慌による生糸の需要低下や、アメリカでの化学繊維(ナイロン)の開発などにより、製糸業は次第に衰退していきます。
岡谷では、多くの製糸工場がその後、味噌醸造へと転換していきました。
最盛期には長野県内の4分の1を占めるほど味噌会社が集まり、町の主要産業のひとつとなっていきます。
一方で、かつて48社あった味噌会社も、現在では22社にまで減少しています。
戦時中には、繭を乾燥させる設備を活用して乾燥味噌が作られ、戦地の兵士へ送られていたという記録も残っています。
岡谷出身の兵士から「懐かしい味だった」と手紙が届いたというエピソードも紹介されていました。
松亀味噌工場で見た、今も続く味噌づくり
展示で学んだあと、用意されていたバスに乗って松亀味噌工場へ向かいました。
現地では、昨年社長を退かれた90歳の会長さんが自ら案内をしてくださいました。
背筋が伸び、歩き方も軽やかで、その姿からも長年この仕事に向き合ってきた力強さが伝わってきます。
工場の敷地は間口約80メートル、奥行き約50メートル。
現在の建物も、もともとは製糸工場として使われていたものを活用しているそうです。
見学では、完成した味噌を大きなタンクに落とし込み、貯蔵庫で保管する工程を見ることができました。
内部は見学できませんでしたが、大豆を煮る設備や、室温を約50度に保って発酵を促す部屋などがあるとの説明もありました。
また、「天然味噌は加熱しない」という言葉も印象に残りました。
なぜ岡谷で製糸業が発展したのか
岡谷で製糸業が発展した理由についても、いくつかの説明がありました。
- 広い農地が少なく、桑の栽培が行われていたこと
- 天竜川の良質な水があったこと
- 交通の便が良く、富山や岐阜など各地から工女が集まりやすかったこと
当時、女性が働いて収入を得る職業は限られており、工女は貴重な仕事のひとつでした。
中でも優秀な工女は「100円工女」と呼ばれ、家を一軒建てられるほどの収入を得ることもあったそうです。
味噌業のその後と、時代の変化
岡谷の味噌業は昭和30年代には長野県内でトップの販売量を誇るまでに発展しましたが、その後は流通の変化により次第に縮小していきます。
かつては酒屋で量り売りされていた味噌ですが、スーパーの登場により販売形態が大きく変わりました。
しかし当時の岡谷の味噌会社は、既存の流通との関係からスーパーへの卸が難しく、時代の変化に対応することができなかった側面もあったそうです。
現在では、仕込みから行う味噌づくりを続けているのはごく少数となり、小規模ながらもその技術が受け継がれています。
製糸と味噌、そのつながりを知って感じたこと
会長さんは最後に、健康の秘訣についても話してくださいました。
「好奇心を持つこと」「バランスの良い食事」「体を動かすこと」、そして「心配しすぎず前向きに考えること」。
90歳とは思えないほどの姿に、その言葉の重みを感じました。
初めて訪れたときには、製糸と味噌がここまで深く結びついているとは想像していませんでした。
製糸業の発展と衰退、そして味噌業への転換。さらにその味噌業もまた、時代の変化の中で形を変えてきたこと。
工女たちの食事を支えていた味噌が、やがて町の産業へとつながっていく流れは、とても印象的でした。
普段何気なく口にしている味噌汁も、こうした歴史の積み重ねの中にあるものだと思うと、その見え方が少し変わる気がします。






















📖 岡谷の製糸の歴史をたどる旅の記録
今回の味噌工場見学は、製糸業の歴史の延長線上にある体験でした。
岡谷が「糸都」と呼ばれた背景や、製糸の現場については、シルクファクトでの展示見学の記録で詳しくまとめています。

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