迎賓館赤坂離宮を再訪|本館と游心亭を歩いて見えてきたこと

迎賓館赤坂離宮の本館正面 アートと文化

初めて迎賓館赤坂離宮を訪れたときは、華やかな洋館や豪華な調度品に圧倒されました。
「すごい」と思う一方で、次はどんな部屋だろうと、気持ちはどんどん先へ向かっていたように思います。

2026年8月。約1年4か月ぶりに再訪した今回は、少し違いました。
気になった場所で立ち止まり、椅子に座って室内を眺め、ガイドさんの話に耳を傾けていると、前回は気づかなかったものが次々と見えてきます。

玄関の打ち水や盆栽、水盤を泳ぐ鯉、洋館の中に取り入れられた日本の意匠。
一つひとつを辿っていくと、その奥にあったのは、海外から訪れる人を「迎える」ために考えられた細かな工夫でした。

特別な催しに参加したわけではないのに、気づけば滞在は約3時間。
前回とはずいぶん違う見方で、迎賓館を歩いていました。


一般公開から10年、迎賓館赤坂離宮を再訪

2025年4月に訪れた迎賓館赤坂離宮を、約1年4か月ぶりに再訪しました。
前回と同じく、本館の見学と和風別館「游心亭」のガイドツアーに参加します。

今回初めて知ったのは、迎賓館赤坂離宮の一般公開が始まったのは2016年だったこと。
明治42年(1909年)に東宮御所として建てられてから100年以上、一般の人が自由に見学できる場所ではありませんでした。

今では国宝の建物を実際に歩き、国賓や公賓を迎える部屋を間近で見ることができます。
展示のために再現された空間ではなく、今も賓客を迎えるために使われている、その場所そのものです。
そんな場所を一般の人が見学できるようになってから、まだ10年ほどしか経っていません。

そもそもこの建物は、大正天皇の新居となる東宮御所として建てられたもの。
しかし実際には住まわれることはなく、戦後の昭和23年(1948年)に国へ移管されました。

当時、海外から賓客を迎える際には旧朝香宮邸やホテルなどが使われていましたが、国として正式に迎える施設が必要となり、建物を大規模に改修。
昭和49年(1974年)、現在の迎賓館赤坂離宮として開館しました。

同じ年に新しく造られたのが、和風別館「游心亭」です。
洋館でのおもてなしだけでなく、日本の建築や生活文化に触れてもらうための場所として、建築家・谷口吉郎によって設計されました。

前回も本館と游心亭の両方を見学しましたが、今回はガイドの話を聞いたり、気になった場所で立ち止まったりしながら歩いているうちに、気づけば滞在は約3時間。
同じ場所を訪れたはずなのに、前回とはずいぶん違ったものが見えてきました。

和風別館「游心亭」、玄関から始まるおもてなし

游心亭のガイドツアーは、前回とは見学ルートが変わっていました。
そのため今回は、これまで見たことのなかった正面玄関を外側から見ることができました。

豪華な装飾に包まれた本館とは対照的に、游心亭の玄関は驚くほどシンプル。
それでも実際に正面に立ってみると、静かな佇まいの中に気品と格を感じます。

賓客を迎える際には、玄関前に敷かれた鉄平石に水を打つそうです。
水を含むと石は黒みを増し、打ち水には邪気を払う意味も込められていると聞きました。

玄関近くには盆栽を置く場所もあります。
ここで選ばれるのは、枝が玄関の扉へ向かって伸びているもの。
「こちらへどうぞ」と、盆栽までが訪れる人を中へ招く役割を担っています。

館内に飾る盆栽は敷地内でも育てられていますが、季節の花が咲くものは別。
賓客の来訪日にちょうど開花させるのは難しいため、その時に花を咲かせている盆栽を借りて飾るそうです。

玄関の前にはヒマラヤ杉などの大木も伸びています。
ガイドさんがヒマラヤ杉の実を持たせてくれたのですが、見た目から想像していたよりもずっしり。普段見かける松ぼっくりとは、大きさも重さもまるで違いました。

日本式を押しつけない、游心亭のおもてなし

游心亭の中へ入ると、日本の生活習慣を体験してもらうため、賓客には靴を脱いでもらうのが基本だそうです。

ただし、国によっては人前で靴を脱ぐことが好まれない場合もあります。
その場合は日本の習慣を優先するのではなく、相手の国の文化を尊重してスリッパを用意するとのこと。

エリザベス女王が訪れた際には、「私も皆さんと同じようにします」と、畳の前で自らスリッパを脱いだというエピソードも紹介されました。

茶室でも、海外からの賓客が正座をして茶席に参加するわけではありません。
椅子に座り、目の前でお茶を点てる様子を楽しんでもらいます。

日本文化をそのまま相手に求めるのではなく、日本らしさを感じてもらいながら、その人の文化や習慣にも合わせていく。
建物を見ているだけでは分からなかった「迎える」ということへの細かな配慮が、あちこちにありました。

水の揺らぎを映す水盤に、鯉が泳ぐまで

游心亭の広間から庭を見ると、建物に沿うように細長い池が広がっています。
今ではたくさんの錦鯉が泳いでいますが、もともとは鯉を飼うための池ではなく、深さ20cmほどの浅い水盤として造られたものでした。

谷口吉郎が考えたのは、水面に反射した光の揺らぎを室内の天井に映し出すこと。
水そのものを眺めるだけではなく、室内にいながら光の動きまで感じられるように設計されていたそうです。

ところが迎賓館として使われ始めたあと、この水盤に大きな変化が起こります。

田中角栄元首相が「何もいないのは寂しい」と、故郷の新潟から50匹の錦鯉を運ばせたのがきっかけでした。

しかし、もともと深さ20cmほどしかない水盤です。
鯉を飼うには浅すぎて酸素が不足してしまい、谷口吉郎の了承を得たうえで、深さ約80cmまで掘り下げることになりました。

現在は100匹を超える錦鯉が泳ぎ、海外からの賓客にも鯉の餌やりは人気なのだそうです。

そして賓客が餌を投げたとき、鯉がきちんと集まってくれるように、来訪の3日前から餌を与えないのだとか。

ガイドさんの「鯉も外交に一役買っているんですよ」という言葉に納得しつつ、3日も断食する鯉はちょっと気の毒にもなりました。

谷口吉郎が造った坪庭に残る、三つの貴船石

游心亭の正面玄関から中へ入ると、右手に小さな坪庭があります。

奥には孟宗竹が植えられ、手前には京都・白川の白い砂利。
もともと谷口吉郎は、竹と白い砂利だけで侘び寂びを表現する、とても簡素な庭を造っていました。

ところが中曽根康弘元首相がこの庭を見て、「少し寂しい」と感じたことから、京都・貴船の石が三つ置かれることになります。

設計者の意図とは異なる変更だったため、あとから谷口吉郎の承認を得ようとしたものの、そのときにはすでに亡くなっていました。

そのため現在も、三つの貴船石は谷口吉郎の承認を得ていないまま残っているそうです。

先ほどの水盤は、鯉を飼うために深くすることを谷口吉郎自身が了承しました。
一方、こちらの三つの石は了承を得ることができなかったもの。

どちらも迎賓館として実際に使われる中で、完成当初の姿から変わった場所です。
設計された建物がそのまま保存されているのではなく、国賓を迎える現役の施設として使われてきた時間まで残っているようで、面白く感じました。

游心亭から、金沢にある谷口吉郎の建築館へ

今回のガイドツアーでは、同じグループに建築について細かな質問をする方がいました。

「この石は大理石ではないのですか?」
「なぜここは、こういう造りになっているのですか?」

かなり細かな質問が次々と出て、ガイドさんも「そこまではわからないです」と答える場面がありました。

そこで話に出てきたのが、設計者・谷口吉郎の出身地である石川県金沢市にある「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」です。

谷口吉郎が石川県出身で、金沢に建築館があることは知っていました。
でも、その館内に游心亭の広間と茶室が原寸大で再現されていることは、このとき初めて知りました。

自分が質問したわけでもなく、事前に調べていたわけでもありません。
たまたま同じツアーになった方の質問から、思いがけず金沢にある建物へ話がつながりました。

本館を歩いて気づいた、華やかな洋館の中の「日本」

游心亭のガイドツアーを終えたあとは、本館へ向かいました。
こちらはガイドツアーではなく、自分のペースで館内を見学します。

本館には「彩鸞の間」「花鳥の間」「羽衣の間」「朝日の間」という四つの部屋があり、それぞれ雰囲気が大きく異なります。

なかでも今回、羽衣の間では用意されていた椅子に座り、しばらく天井を眺めていました。

頭上に広がるのは、謡曲「羽衣」の一節を描いた大きな天井画。
室内にいるはずなのに、空を見上げているような開放感があります。

高さ約3m、重さ約800kgという大きなシャンデリアが3基も吊り下がる華やかな部屋ですが、細かな装飾を見ていくと少し意外なものも見つかります。

壁にはヴァイオリンなどの西洋楽器とともに、琵琶や鼓といった日本の楽器も描かれていました。

同じような和と洋の組み合わせは、彩鸞の間にもあります。
白と金を基調にした室内のマントルピースには、日本刀とサーベルを組み合わせた装飾。

西洋の宮殿のような建物を見ているつもりでも、よく見ると日本のものがあちこちに入り込んでいます。

そして花鳥の間へ入ると、それまでとは空気ががらりと変わりました。

木をふんだんに使った落ち着いた室内は、国賓や公賓を招いた晩餐会が開かれる大食堂。
壁には花や鳥を描いた30枚の七宝焼が飾られています。

入口には一枚ずつ図柄を確認できる資料もあり、見比べながら歩いていると、ここでも日本の工芸が洋風建築の一部になっていることに気づきました。

「明るい!」と感じた朝日の間

羽衣の間や廊下を歩いたあと、朝日の間へ。
部屋へ足を踏み入れた瞬間、最初に感じたのは「明るい!」でした。

朝日の間は約2年間をかけた改修を終え、2019年に公開を再開しています。
その際にはシャンデリアも一つひとつ分解され、クリスタルガラスまで洗浄されたそうです。

足元には、桜の花を散りばめた紫色のぼかし絨毯が広がっています。
47色もの糸を使い、1日に織り進められるのはわずか6cmほどと聞き、その手間にも驚きました。

見学者が歩く場所では絨毯の一部が巻かれていましたが、これは単に踏まないためだけではありません。
光が当たる場所だけ色が変わってしまわないよう、ときどき巻く方向を反対にして、絨毯に当たる光が一方に偏らないようにしているそうです。

華やかな部屋を眺めているだけでは気づかないところにも、長く使い続けるための手間がかけられていました。

迎えるときには朝日、送り出すときには夕日

本館の中央階段にも、迎賓館らしい仕掛けがあります。

正面玄関から入った賓客が階段を上ると、正面に見えてくるのが朝日を描いた絵。
そして帰るとき、同じ階段を下りながら目にする反対側には、夕日が描かれています。

迎え入れるときには朝日。
送り出すときには夕日。

どちらも外国人画家によって描かれたもの。
私たちが思い浮かべる朝日や夕日とは、少し違った印象がありました。

游心亭では、玄関の打ち水や盆栽の枝の向きにまで「迎える」ための意味がありました。
豪華な洋館である本館でも、賓客が建物へ入り、そして帰っていくときに何を見るのかまで考えられていることが印象に残りました。

見学する国宝から、今も使われる迎賓館へ

本館を歩いている途中、これまで迎賓館に宿泊した賓客が署名を残す「御署名簿」が展示されていました。

大きなアルバムのような立派な台帳を目の前にすると、ここは国宝の建物を見学するためだけの場所ではなく、今も実際に海外から賓客を迎えている施設なのだと改めて感じます。

今回、本館には約1時間半滞在しました。
游心亭のガイドツアーは約1時間。庭園を歩いた時間も合わせると、迎賓館を出るまで約3時間。

何か特別な体験をしたわけではありません。
部屋を眺め、椅子に座り、ガイドさんの話を聞き、気になったことを尋ねながら歩いていただけです。

それでも、玄関の石に水を打つこと、盆栽の枝を入口へ向けること、相手の国の文化に合わせて靴やスリッパを使い分けること。
本館では、迎えるときに朝日を、送り出すときには夕日を目にするように考えられていました。

そして、賓客が訪れる日には鯉まで3日前から準備が始まります。

前回も同じ本館と游心亭を見学しました。
けれど今回、華やかな建物や美しい庭園の奥にあるものを知っていくうちに、「迎賓館」という名前が前よりもずっと具体的に感じられるようになりました。

迎賓館赤坂離宮の正門
迎賓館赤坂離宮本館の正面玄関
迎賓館赤坂離宮本館の中央玄関扉
迎賓館赤坂離宮和風別館「游心亭」前のヒマラヤ杉
迎賓館赤坂離宮和風別館「游心亭」の正面玄関
游心亭のヒマラヤ杉の実と松ぼっくり
ヒマラヤ杉の実。持たせてもらうと、想像していた以上の重さでした。
游心亭で使用する盆栽を管理する場所
游心亭で使用する盆栽が管理されている場所。花の咲く盆栽は、賓客の来訪時期に合わせて借りるそうです。
迎賓館赤坂離宮本館と国宝の噴水
迎賓館赤坂離宮和風別館「游心亭」と水盤
游心亭の広間に面した水盤。もともとは浅い水盤として造られ、現在は多くの鯉が泳いでいます。
迎賓館赤坂離宮本館の背面
迎賓館赤坂離宮の正門から見た本館
迎賓館赤坂離宮を出て振り返った正門と本館
約3時間の見学を終え、正門を出てから振り返った迎賓館赤坂離宮

🏛 東京で出会った建築美の記録

迎賓館赤坂離宮では、華やかな本館と和風別館「游心亭」を歩きながら、建築の細部に込められた意匠や工夫にふれました。
東京で訪れた、洋館や和館それぞれの建築を楽しめる場所の記録もあわせてご覧ください。

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